「1961年の西ドイツ空軍F-84機による領空侵犯事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
m →背景: リンク先を修正してみました。 |
||
22行目:
当時、東西ドイツ間の領空侵犯は日常茶飯事であった。平均して1か月に2機の割合で[[北大西洋条約機構]](NATO)に所属する航空機が東側の領空に侵入し、それよりも遥かに多数のソ連機が[[西ドイツ]]領空に侵入してきていた。1961年の8月から9月にかけての4週間に発生したソ連機による西ドイツ領空の侵犯は38回に上った。侵犯の中には相手側の反応をうかがうための意図的なものもあったが、それ以外は空中での境界線を見極めることが困難で、これに起因する過失によるものであった<ref name="Monat" >[http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-45141349.html LUFTZWISCHENFALL: Zweimal monatlich] {{de icon}} ''[[:en:Der Spiegel|Der Spiegel]]'', published: 29 August 1962, accessed: 30 November 2010</ref>。
[[第二次世界大戦]]終結後から[[ドイツ再統一]]までの期間に、西ドイツの航空機は民間機であれ軍用機であれ西ベルリンへの飛行は禁じられていた。西ベルリンへと通じる3本の
== 事件の発生 ==
|