「ロシア・ツァーリ国」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
誤字訂正
タグ: モバイル編集 モバイルアプリ編集 iOSアプリ編集
36行目:
|通貨 = [[ロシア・ルーブル|ルーブル]]
}}
'''ロシア・ツァーリ国'''(ロシア・ツァーリこく、[[ロシア語]]:{{lang|ru|Царство Русское}})は、[[1547年]]に[[イヴァン4世]]が[[ツァーリ]]の称号を帯びて以後、[[1721年]]に[[ピョートル1世]]が[[ロシア帝国]]の建国を宣言するまで用いられていたロシア国家の公称である、とする説に基づいた名称のこと。常識的には、統治者が東ローマ帝国の皇帝の妹と結婚したキエフ公国およびその後継国家であるウラジミール公国の後継国家は、ロシア帝国である。このロシア帝国は、モンゴル帝国系のプチャク汗国(金帳可汗国)への朝貢を止めてキプチャク汗国から事実上独立した1371年のあと、1480年にイワン3世がモスクワ大公国を建国した際に既に「ツァーリ」(ローマの独裁者・カエサル(英語名・シーザー)の意味)の称号を用いているため、ロシア帝国の成立は一般的な説である1547年ではなく1480年であるとする説がある。更に、キプチャク汗国に服属していたロシアの諸侯が1371年からモスクワ大公国(ロシア帝国)が正式に独立する1480年まで1世紀以上もの間貢朝をしていないことから、モスクワ大公国(ロシア帝国)の成立は1480年よりずっと昔にさかのぼる、とする説もある。
 
== 概説 ==