「ムルシリ2世」の版間の差分

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疫病は彼の治世にも続いていたらしく、即位するとすぐに疫病退散を祈る儀式を行っている。疫病による政治混乱はヒッタイト各地での反乱に繋がったが、ムルシリ2世はこれらを全て鎮圧し、ヒッタイトが分解するのを阻止した。
 
またシュッピルリウマ1世の時代[[アムル人|アムル王国]]に確保していた影響力を維持するべく、アムル王[[トゥピ・テシュプ]]にヒッタイトの宗主権を確認させ、[[古代エジプト|エジプト]]の影響力を排除することに努めた。エジプトでは当時[[アメンホテプ4世]]死後王位を継いだ[[スメンクカーラー]]と[[ツタンカーメン]](トゥトアンクアメン)の時代であったが政治混乱が続いており、ムルシリ2世は[[歴史的シリア|シリア地方]]への影響力維持に成功した。
 
死後、息子の[[ムワタリ]]が王位を継いだ。