「金寿煥」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
109行目:
 
=== 枢機卿 ===
[[1969年]][[4月28日]]、パウロ6世は僅か46歲の金寿煥を[[枢機卿]]の位に挙げ、その他にも[[平壌教区]]の[[教皇庁代理]]を兼任させた。彼は韓国初の枢機卿である外に、当時[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]内で最年少の枢機卿であった<ref name="CP" /><ref name="UCAN" />。[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて、金寿煥は韓国が独裁体制を取っている間に[[人権]]の守護者となり、そのため多くの韓国人は彼を人権および[[民主主義]]の[[守護者]]と称した<ref name="UCAN" />。[[1990年代]]には、韓国での反米親北の傾向を憂い、北朝鮮の人権および体制に注意を払う必要性を表明した<ref name="chosun" />。[[1998年]]に開催した[[アジア]][[司教]]会議特別大会では、金寿煥は3人の主席の代表の1人に選ばれた。金寿煥は同年[[4月3日]]に正式にソウル大司教区大司教および平壌教区教皇庁代理の職務を辞任し、[[鄭鎭スク|ニコラス・チョン・ジンスク鎮奭]]大司教が後を引き継いだ<ref name="UCAN" />。
 
=== 逝去 ===