「ジョルジュ・バタイユ」の版間の差分

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* 第三に、小説群。これは『眼球譚』、『空の青』、『わが母』などである。
 
バタイユが思想的にとりわけ影響を受けたのは、1920年代に読み始めたフロイトおよびニーチェ、そしてコジェーヴの講義以降終生彼を捉えることとなるヘーゲル、そして西欧の神秘家たち([[フォリーニョのアンジェラ|アンジェラ・ダ・フォリーニョ]]、[[偽ディオニシウス・アレオパギタ|ディオニシオス・アレオパギタ]]、[[アビラの聖テレサ]]、[[十字架の聖ヨハネ]]、etc.)である。
 
神秘主義に傾倒する前は[[共産主義]]を伝統的な(制度的)至高性souverainetéに最も対抗できる運動として称揚し、[[1931年]]から後の[[フランス共産党]]の創設者の一人[[ボリス・スヴァーリヌ]]率いる「民主共産主義サークル」のメンバーになるなど革命的知識人の側面があった。この団体が解散された[[1934年]]でも一時的に[[トロツキズム|トロツキスト]]団体に加入したことがあるが、バタイユはこの頃に「内的体験」や「瞑想の方法」に目覚めたとされる。
 
また、ニーチェ研究者としては、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]によるニーチェ思想の濫用を早い段階から非難し、著作において[[マルティン・ハイデッガー]]を「(主体的な)至高性が足りない」「ドイツの教授先生」などと批判していた。
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==影響==