「蕭譲」の版間の差分

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済州の住人。当時の他の多くの無官書生と同じように、書道の教師と[[碑文]]や墓碑銘の文面製作などで生活をしていたが、その書の見事さは周囲に知れ渡っていた。ある日、彫刻家の[[金大堅]]とともに、その評判を聞いた[[泰山]]の[[道士]]に呼ばれ、碑文の作成を依頼された。金大堅と連れ立って泰山へ向かうと、途中で梁山泊の山賊に拉致されてしまう。実は道士の正体は江州の牢役人[[戴宗]]で、梁山泊の恩人である[[宋江]]が江州で無実の罪で処刑されかかっていると知った梁山泊の軍師・[[呉用]]は、江州知事の父である[[宰相]]・[[蔡京]]の手紙を偽造し、都に護送されてくるであろう宋江を奪おうと考え、そのために書と彫刻の名人である2人を誘拐したのだった。山にはすでに家族も連れて来られており、2人はしかたなく梁山泊に協力、そのまま仲間になった。手紙自体は完璧なものが完成したが、呉用が息子宛に使用する印鑑の種類を取り違えるというミスを犯したため、偽装が発覚、結局梁山泊が江州に乗り込んで宋江を救出した。
 
梁山泊入山後は、首領が発行する文書の他、書簡、規約、通帳や名簿の作成、処理を担い、裏方ながら梁山泊組織内部で重要な役割を担い、百八星集結時、天から108人の名前が記された碑文が振ってきた時には、道士が読み上げる古代文字で書かれた碑文を一字一句漏らさず写し取った。梁山泊の方針が朝廷への帰順へと傾くと、蕭譲は勅使の応対や朝廷への使者を務めるなど活躍、[[高キュウ|高俅]]の屋敷に軟禁された時もあったが、招安の実現に大きな役割を担った。官軍となった後も裏方として立ち回り、[[遼]]との戦いの後、戦勝を記念する碑文の文章を作成したり、[[田虎]]の戦いの最中、[[蓋州]]で大雪が降った時は、雪の結晶に関する薀蓄を披露し、教養の深さを見せ付けた。
 
[[王慶 (水滸伝)|王慶]]との戦いでは、空城の計をつかって少数の兵で敵の大群から[[宛州]]城を守り抜く活躍を見せ、[[裴宣]]、金大堅とともに敵の捕虜になった時は、降伏を勧める敵を激しく罵り、拷問にも耐え抜くという気骨を見せた。王慶との戦いが終わって都に凱旋した際、自身も書道家である蔡京が蕭譲の書の見事さに惚れ込んで、祐筆として召抱えたいと宋江に要望し、奸臣とはいえ官軍になった以上、時の宰相の意には逆らえず、蕭譲はそこで梁山泊から脱盟、以降は家塾の教師として、蔡京の子弟を教育した。
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