「耶律輝」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[蔡京]]、[[童貫]]、[[高キュウ|高俅]]、[[楊ゼン (水滸伝)|楊戩]]ら奸臣らの悪政によって国内に多くの反乱軍を抱え、滅亡の危機に瀕していた宋王朝を併呑せんと大軍を発する。四手に分かれた遼軍は[[太行山脈]]より北部の諸州に迫ると、山東・山西地方を脅かし河北・河南の地を制圧した。その事実を童貫らは前線から救援を求める上奏文が連日届けられているにも関わらず全てを握り潰し[[徽宗]]皇帝への報告を怠っていたが、殿帥府大尉[[宿元景]]の奏上によって事実を知った天子によって、折りしも宋朝に帰順し官軍となった[[宋江]]ら梁山泊の英雄達に遼国への討伐命令が下る事となる。
 
順風満帆に宋側の諸州を攻略していた遼軍であったが、[[洞仙侍郎]]の守る檀州に百八人の英雄が集う梁山泊軍が攻め寄せると徐々に宋軍の反撃に晒される事となる。檀州には甥で共に猛将として名高い[[耶律国珍]]、[[耶律国宝]]を派遣するも敗れてしまい、弟の皇弟大王[[耶律得重]]の守る薊州も[[石秀]]、[[時遷]]の内応策によって陥落。相次ぐ敗戦に狼狽した耶律輝は侍臣の[[欧陽侍郎]]の献策に従い、宋を上回る待遇で梁山泊軍に招安を持ち掛ける。この申し出はかねてより奸臣達に実権を握られた宋朝に愛想を尽かしていた梁山泊側の軍師[[呉用]]の興味を引きはしたが、宋への忠誠心に凝り固まった首領の宋江の意向で反故にされ、彼らの偽りの帰順に騙される格好で逆に覇州を奪われてしまう。
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