「新保守主義 (アメリカ合衆国)」の版間の差分

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== アメリカ新保守主義の呼称 ==
「'''{{en|Neoconservatism}}'''」の直訳として「'''[[新保守主義]]'''」が使用されている。この言葉は[[形容矛盾]]であるが、元祖ネオコン思想家の一人である[[ノーマン・ポドレツ]]によれば、「ネオコンは元来[[左翼]]で[[自由主義|リベラル]]な人々が[[保守]]に[[転向]]したからネオなのだ」として、[[伝統保守主義|伝統主義]]などを提唱する旧来の保守派である「PaleoConservatism(ペイリオコンサヴァティズム。旧保守主義)」と区別している。当初は[[蔑称]]だっ{{仮リンク|マイケル・ハリントン|en|Michael Harrington}}が左翼から保守派に移行し知識人を指して新保守主義者と批判的に呼び始めたが<ref>Harrington, Michael (Fall 1973). "The Welfare State and Its Neoconservative Critics". Dissent. 20. Cited in: Isserman, Maurice (2000). The Other American: the life of Michael Harrington. New York: PublicAffairs. ISBN 978-1-891620-30-0. Archived from the original on 19 June 2009. Retrieved 17 December 2019. ... reprinted as chapter 11 in Harrington's 1976 book The Twilight of Capitalism, pp. 165–272. Earlier during 1973, he had described some of the same ideas in a brief contribution to a symposium on welfare sponsored by Commentary, ""Nixon, the Great Society, and the Future of Social Policy", Commentary 55 (May 1973), p. 39</ref>、新保守主義者を初めて自称したのはネオコンのゴッドファーザー的存在とされる[[アーヴィング・クリストル]]とされる<ref>Goldberg, Jonah (20 May 2003). "The Neoconservative Invention". National Review. </ref>。
 
略称として近年では「{{lang|en|Neocon}}(ネオコン)」と呼ばれる事が多い。
[[アメリカ合衆国]]の新保守主義の源流は、後に「[[ニューヨーク知識人]]」と呼ばれるようになる、[[1930年代]]に[[反スターリン主義|反スタ]][[左翼]]として活動した[[トロツキズム|トロツキスト]]たちにまで遡る。彼らの多くは、アメリカの公立大学の中で最も歴史のある大学の一つ、[[ニューヨーク市立大学シティカレッジ]](CCNY)に学んでいる。CCNYは、高度に選択的な承認基準と自由教育により、[[20世紀]]初頭から中期にかけて「[[プロレタリアート|プロレタリア]]の[[ハーバード大学|ハーヴァード]]」(“Harvard of the Proletariat”)と称されていた。これは当時、[[ハーバード大学|ハーヴァード大学]]をはじめとする[[アイビー・リーグ]]の私立学校が、[[WASP]]を優先し大多数の[[ユダヤ人|ユダヤ系アメリカ人]]や[[有色人種]]たちに関し排他的な入試制度を持っていたからである。
 
当代のニューヨーク知識人には、[[社会学|社会学者]][[ダニエル・ベル]]、[[政治学|政治学者]][[シーモア・M・リプセット|シーモア・リプセット]]、[[リチャード・ホフスタッター]]、{{仮リンク|マイケル・ハリントン|en|Michael Harrington}}([[シカゴ大学]]出身。左翼から保守に移行した知識人を批判的に「新保守主義」を名付けたのは、彼といわれている。)、政治学者[[マーティン・ダイアモンド]]、[[文芸批評]]の{{仮リンク|アーヴィング・ハウ|en|Irving Howe}}などがおり、こうした人の中に、のちにアメリカ新保守主義の創設者(''founder'')[http://www.lewrockwell.com/orig8/preston2.html]と考えられている文芸批評家の[[アーヴィング・クリストル]]、その妻であり[[歴史家]]の{{仮リンク|ガートルード・ヒンメルファーブ|en|Gertrude Himmelfarb}}、{{仮リンク|ネーサン・グレイザー|en|Nathan Glazer}}、{{仮リンク|シドニー・フック|en|Sidney Hook}}らがいた。したがってニューヨーク知識人の中で新保守主義へと転向したのは、一部に過ぎない。また、重要な人物として{{仮リンク|マックス・シャハトマン|en|Max Shachtman}}が挙げられる。[[ポーランド]][[移民]]である彼は[[トロツキズム]]の党派[[社会主義労働者党 (アメリカ合衆国)|社会主義労働者党]] ー [[第四インターナショナル]]から、[[独ソ不可侵条約]]締結と[[ソビエト連邦|ソ連]]による[[バルト三国|バルト3国]]侵攻を期に、ソ連の国家性格やその「[[帝国主義]]からの防衛」の是非をめぐって[[レフ・トロツキー]]らと論争し、社会主義労働者党から分裂して{{日本語版にない記事リンク|労働者党 (アメリカ合衆国)|label=労働者党|en|Workers Party (United States)}}を結成する。ハリントンやハウは、彼に魅了され左翼になった(後に転向)。
 
[[第二次世界大戦]]後、シャハトマンのグループは[[アメリカ社会党]]の統一執行部を掌握して[[民主党 (アメリカ)|民主党]]への統合を主張し、民主党に入り込むと、党内最左派として[[全米自動車労組]](UAW)や[[ヘンリー・M・ジャクソン]]の派閥などを基盤に活動していく。人数的には少数派だったが[[アメリカ労働総同盟・産業別組合会議]](AFL-CIO)の会長や政府高官にメンバーを送り込んでいた。[[1970年代]]に入るとさらに保守化し、シャハトマンの死後このグループは分解の方向に向かった。このシャハトマン・グループ傘下の{{仮リンク|青年社会主義同盟|en|Socialist Youth League (United States)}}に入っていたのが[[ジーン・カークパトリック]]などである。シャハトマンの新保守主義への貢献は、戦前にはトロツキスト・グループを形成し青年ユダヤ人に知的公共空間を提供したこと、[[戦後]]はユダヤ人たちが米国の現実政治のなかで影響力を与えていく回路をつくりあげたことだろう。