「ロンドン地下電気鉄道」の版間の差分

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その一方、[[1868年]]に開業した半地表<ref group="note">'''半地表'''地下鉄路線とは、[[トンネル#開鑿(開削)工法|開削工法]]で、地表近くに建設され、天井にふたをかぶせたものを指す。</ref>の蒸気機関車牽引による地下鉄路線を運営するディストリクト鉄道は、のちに[[サークル線]]となる'''インナー・サークル'''を中心に[[ハウンズロー・ウェスト駅|ハウンズロー]]、[[ウィンブルドン駅|ウィンブルドン]]、{{仮リンク|リッチモンド駅 (ロンドン)|en|Richmond station (London)|label=リッチモンド}}、[[イーリング・ブロードウェイ駅|イーリング]]、{{仮リンク|ホワイトチャペル駅|en|Whitechapel station|label=ホワイトチャペル}}及び{{仮リンク|ニュー・クロス・ゲート駅|en|New Cross Gate railway station|label=ニュー・クロス}}に支線を伸ばしていた{{sfn|Rose|1999}}。[[1901年]]までにはディストリクト鉄道と、{{仮リンク|モーターバス|en|motor bus}}、[[路面電車]]、セントラル・ロンドン鉄道との間の競合が激化、ディストリクト鉄道の乗客数の伸張は停滞期を迎えていた。競争優位を確保するため、ディストリクト鉄道は[[鉄道の電化|電化]]を検討するようになったが、ディストリクト鉄道の財務基盤は工事資金を自ら調達できる状態ではなかった{{sfn|Horne|2006|pp=36–37}}。ディストリクト鉄道はこの時期までに、混雑緩和のため、[[グロスター・ロード駅|グロースター・ロード]]と[[マンション・ハウス駅|マンション・ハウス]]間の既設線の下に大深度路線を敷設する議会の許可を得ていた{{sfn|Badsey-Ellis|2005|pp=70–71}}。
 
[[1898年]]までにアメリカの資本家{{仮リンク|[[チャールズ・ヤーキス|en|Charles Yerkes}}]]は、[[シカゴ]]に路面電車や[[ループ (シカゴ交通局)|高架環状鉄道]]を展開することで富を得ていたが、賄賂や恐喝までをも含むヤーキスのビジネス手法には批判も強く、アメリカのビジネス社会はヤーキスへの協力を渋るようになっていた。ヤーキスは賄賂を用いてシカゴ市議会やイリノイ州議会に100年間の路面鉄道運営権を認可するよう働きかけたが失敗に終わり、世論の厳しい非難にもさらされたことから、シカゴに得ていた資産をすべて売却し、ロンドンでのビジネスに関心をもつようになった{{sfn|Wolmar|2005|pp=164–65}}。
 
===ヤーキスによる買収===
[[File:Yerkes002.jpg|thumb|left|upright|[[1902年]]からロンドン地下電気鉄道の会長を務めた{{仮リンク|[[チャールズ・ヤーキス|en|Charles Yerkes}}]]]]
ロンドンでヤーキスはまず[[チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道]](英語:Charing Cross, Euston and Hampstead Railway、CCE&HR)を買収した。チャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道は[[チャリング・クロス]]から[[ハムステッド]]及び[[ハイゲート]]への大深度路線の議会許可を得ていたが、株式の売却は不調であり、建設資金を集められていない状態だった<ref name=times1>{{cite journal |url=http://infotrac.galegroup.com/itw/infomark/341/754/79630332w16/purl=rc1_TTDA_0_CS101377844 |title=New London Electric Railway Scheme | work=[[タイムズ]] |issue=36252 |page=p. 6 |date=20 September 1900 |accessdate=17 June 2010}} (購読契約が必要)</ref>。多数の鉄道会社の顧問弁護士を務め、{{仮リンク|ルース (イングランドの選挙区)|en|Louth, Lincolnshire (UK Parliament constituency)|label=ルース選挙区}}選出の[[国会議員]]だった{{仮リンク|ロバート・パークス (初代準男爵)|en|Sir Robert Perks, 1st Baronet|label=ロバート・パークス}}は、[[1900年]]9月28日にヤーキスとアメリカの投資家集団にチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道を{{Format price|100000|0}}[[スターリング・ポンド|ポンド]](2013年の約{{Format price|{{Inflation|UK|100000|1900|2013|r=-5}}|0}}ポンドに相当){{Inflation-fn|UK}}で購入することを提案した{{sfn|Badsey-Ellis|2005|p=118}}<ref name=times2>{{cite journal |url=http://infotrac.galegroup.com/itw/infomark/640/615/113817226w16/purl=rc1_TTDA_0_CS202303293 |title=New London Electric Railway Scheme | work=[[タイムズ]] |issue=36260|page=p. 12 |date=29 September 1900 |accessdate=17 June 2010}} (購読契約が必要)</ref>。