「マンクヌガラン王宮」の版間の差分

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マンクヌガラン王宮の正門からは、およそ3ヘクタールにおよぶ<ref name=pamedan>{{Cite web |url=https://puromangkunegaran.com/kgpaa-mangkunegara-ix-tidak-izinkan-pamedan-puro/ |title=KGPAA Mangkunegara IX Tidak Izinkan Pamedan Puro Mangkunegaran Digunakan sebagai Lahan Parkir |date=2017-07-17 |publisher= Puro Mangkunegaran |language=id |accessdate=2020-08-05}}</ref>広大な広場 (''Pamedan'') があり<ref name=Nakamura>{{Cite book |和書 |author=中村浩 |year=2015 |title=ぶらりあるきインドネシアの博物館 |publisher=芙蓉書房出版 |isbn=978-4-8295-0655-4 |pages=103-105}}</ref>、ここはかつて[[1808年]]に結成された{{仮リンク|マンクヌガラ軍|id|Legiun Mangkunegaran}}<ref>{{Cite web |url=https://puromangkunegaran.com/legiun-mangkunegaran-pasukan-elite-mangkunegaran/ |title=Legiun Mangkunegaran Pasukan Elite Mangkunegaran |date=2017-11-21 |publisher= Puro Mangkunegaran |language=id |accessdate=2020-08-05}}</ref>の演習ならびに乗馬の訓練場であった。その後、マンクヌガラン王宮の前庭であるこの方形の広場において、ときに国際的な文化行事も開催されている<ref name=pamedan />。
 
広場正面にある門 (''Gedung Kavaleri'') により、プンドポ・アン (''Pendopo Ageng''<!--Agung-->) がある中庭に通じている<ref name=arsitektur />。
 
=== プンドポ ===
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開放的な{{仮リンク|インドネシア建築|en|Architecture of Indonesia|label=ジャワ建築}}様式の{{仮リンク|プンドポ|en|Pendhapa}}である<ref name=Nakamura />広間は、{{仮リンク|マンクヌゴロ2世|en|Mangkunegara II}}(在位[[1796年|1796]]-[[1835年]]<ref name=dohosha_408>[[#dohosha|『インドネシアの事典』 (1991)]]、408頁</ref>)の時代の1815年に構築され<ref>{{Cite web |url=https://puromangkunegaran.com/ornamen-kumudawati-pendhapa-ageng-puro-mangkunegaran/ |title=Ornamen Kumudawati Pendhapa Ageng Puro Mangkunegaran |date=2019-11-26 |publisher= Puro Mangkunegaran |language=id |accessdate=2020-08-05}}</ref>、{{仮リンク|マンクヌゴロ4世|en|Mangkunegara IV}}(在位[[1853年|1853]]-[[1881年]]<ref>[[#dohosha|『インドネシアの事典』 (1991)]]、408・416頁</ref>)により拡張された<ref>[[#UNS|UNS (2019)]], p. 7</ref>。
 
[[ファイル:Pendopo Ageng.jpg|thumb|プンドポの広間正面]]
プンドポ・アグンは、幅(東西)62.30メートル、奥行き(南北)51.65メートル、平面積3,218[[平方メートル]]となる広大な構造物であり<ref name=JEES>{{Citation |和書 |author=石塚悠伍、高橋遥希、多幾山法子、宮本慎宏、林康裕 |year=2010 |title=インドネシア伝統木造建築物の耐震性評価を目的とした現地調査 |work=第13回日本地震工学シンポジウム |pages=2140-2146 |url=http://www.hayashi.archi.kyoto-u.ac.jp/paper/GO38-Fri-AM-2.pdf |format=PDF |accessdate=2020-08-05}}</ref>、その屋根は{{仮リンク|ジョグロ|en|Joglo}}と呼ばれる台形のピラミッド状をなす伝統的な屋蓋様式により形づくられている<ref name=arsitektur />。また、前面の2本の前柱で支えられた張り出し玄関の[[ペディメント]]([[破風]])は、オランダ植民地時代の建築とその装飾様式が見られる<ref name=UNS_8>[[#UNS|UNS (2019)]], p. 8</ref>。<!--この広間は、長年インドネシア最大のものと見なされてきた。-->広間の天井には、[[1866年]]に設置された時代を経たシャンデリアが並んでおり<ref name=UNS_8 />、床一面に大理石が敷かれたこの大広間においては、宴会ならびに<ref name=JEES />宮廷の舞踏や[[ガムラン]]の演奏などが催される<ref name=Nakamura />。
 
=== プリンギタン ===
プンドポの広間の後方北側に、プリンギタン (''Pringgitan'') と呼ばれる長方形の場所があり、さらにダレム・アン (''Dalem Ageng''<!--Agung-->) に通じる階段がある。プリンギタンは、半ば開かれた領域であるプンドポより、閉じられた領域であるダレムとの境界に位置している<ref>[[#UNS|UNS (2019)]], pp. 7-8</ref>。ここはマンクヌゴロ2世の時代に構築されたもので、王室の賓客を迎える場所であった<ref name=UNS_8 />。プンドポの広間と同じく床に大理石が敷かれ、側壁に備えられた出窓の扉には、一部に[[ステンドグラス]]も見られる<ref name=UNS_9>[[#UNS|UNS (2019)]], p. 9</ref>。
 
=== ダレム ===
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北側に続く広間がダレム・アゲンであり、王家の私的空間であった領域である。面積約1,000平方メートルで、ピラミッド状の<ref name=arsitektur />ジョグロの屋根を持つ<ref name=UNS_9 />。このダレム・アゲンの建物の左右にあるいくつもの小部屋のほか、背後にも王族が所有したマンク・ヌゴロ家の公邸であった場所があり、王宮博物館として一部が公開されている<ref name=Nakamura />。
 
=== 庭園 ===
中庭には、庭園として花が咲く木や観賞用の草木が生い茂り、ヨーロッパ風の彫像や噴水持つ池のほか、自然保護区に似せた鳥類の飼育ケージなども備えられる。また、屋外庭園を見下ろすような八角形の建物 ''Pracimoyasa'' (''Dalem Veranda'') があり、屋根は伝統的なジャワ様式である3層の屋蓋からなる形状を持つ<ref>[[#UNS|UNS (2019)]], p. 11</ref>。館内にはヨーロッパのシャンデリアならびに家具などが整えられている<ref name=arsitektur />。
中庭には、庭園として花が咲く木や観賞用の草木が生い茂り、ヨーロッパ風の彫像や噴水を持つ池のほか、自然保護区に似せた鳥類の飼育ケージなども備えられる。
 
中庭には、庭園として花が咲く木や観賞用の草木が生い茂り、ヨーロッパ風の彫像や噴水持つ池のほか、自然保護区に似せた鳥類の飼育ケージなども備えられる。また、屋外庭園を見下ろすような八角形の建物 ''Pracimoyasa'' (''Dalem Veranda'') があり、屋根は伝統的なジャワ様式である3層の屋蓋からなる形状を持つ<ref>[[#UNS|UNS (2019)]], p. 11</ref>。館内にはヨーロッパのシャンデリアならびに家具などが整えられている<ref name=arsitektur />。
 
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