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'''李 庠'''(り よう、[[247年]] - [[301年]])は、[[西晋]]時代に活動した人物。[[字]]は'''玄序'''。 [[
== 生涯 ==
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[[294年]]、[[孝廉]]に推されたがこれを断った。後に、騎射に長けていたことから、良将として推挙されたが、これも受けなかった。州府は、李庠が文武の才を兼ね備えていたことから、秀異に推挙したが、今度は病気と称して固辞した。しかし、州郡はこれを聞き入れず、李庠の名を朝廷へ上聞した。これを受け、中護軍は何度も李庠に迫ったため、止むを得ず仕官に応じ、中軍騎督に任られた。弓馬を自在に扱い、腕力は人並み外れていた為、世の人は彼を[[文鴦]]に匹敵するとした。[[洛陽]]が政変により乱れると、病気を理由に官職を辞して略陽に戻った。彼は[[任侠]]の徒であり、好んで他人の災禍を救済した。その為、州の徒党は争うように李庠の下へと集まった。
[[296年]]、[[
[[300年]]11月、益州[[刺史]]の[[趙キン (西晋)|趙廞]]は密かに蜀の地を占有しようと考え、官庫の食糧を流民達へ振舞って人心掌握に努めた。趙廞は李庠と会うと、その器の深さを称えた。そして、兵法について論じ合うと、李庠の考えに深く賛同した。趙廞は親しみを込めて「李玄序は、有りし日の関羽・張飛のようだ」 と言った。李庠とその兄弟は皆武勇に優れており、配下の者は[[巴西郡|巴西]]の出身で趙廞とは同郷であった為、趙廞は彼らを厚遇し、自らの爪牙とした。
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