「尾張国解文」の版間の差分

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== 概要 ==
内容は[[検田]]を行って[[正税]]を加徴する、[[公出挙]]や[[地子]]などの加徴を行う、[[交易]]の際に百姓から安価で[[絹]]を買い上げて余剰を他国で高値にて売りつける(賦課として買い上げる額は定まっているため、結果的に大量の絹を強制的に買い上げることができる){{Refnest|group="注釈"|異説として、買い上げ価格は正当な[[国例]]に基づく価格であるが、買い上げの手数料などの名目で強制的に追加徴収することで不当な利益を得たと解する説もある<ref>宮川麻紀「九~十世紀の交易価格と地域社会」『日本古代の交易と社会』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-04658-9 P199-202.(原論文2012年)</ref>。}}、尾張を通過する官吏や救民に対する食料・国内の施設の修繕費及び工事に携わる人々への費用・更に[[国衙]]の[[官人]]に対する給与や食料などを横領して京都の私邸に運ばせているにも関わらず、公文書には適正に支出したと記している、元命の子弟・郎党による狼藉、運送負担の強制、元命の出勤怠慢、自分に都合の悪い公文書を公布しない、その他元命やその身内による私利追求行為などが記されている。
 
10世紀以後、国司の地方支配に対する住民の不満から[[国司苛政上訴]]と呼ばれる[[越訴]]や武力を伴う国司・国衙襲撃なども相次いだ。「尾張国解文」は原本は残されていないものの、[[鎌倉時代]]の[[写本]]が全文残されているなど伝存状況が良く、当時の地方政治と国司苛政上訴の実態を伝える文書として評価されている。もっとも、尾張国では10世紀から11世紀にかけて国司苛政上訴が計4回発生しており、元命が極端な悪政を行っていたわけではない。また、[[解文]]自体も和風の[[四六駢儷体]]という高い文章作成能力を要する漢文体を採っており、当時の地方文化の高さを示すとする見方と実際には郡司らの意向を受けた京都の文人が作成したとする見方がある。更に元命自身[[花山天皇]]期に登用された人物であり、[[寛和の変]]による花山朝系の官人の排斥に巻き込まれて不当に中傷されたとする見方もある。
 
写本としては、[[1281年]](弘安4年)写本の[[早稲田大学]]所蔵本(重要文化財)、[[1311年]](応長元年)写本の[[東京大学史料編纂所]]所蔵本([[1304年]](嘉元2年)[[具注暦]][[紙背文書]])、[[1325年]](正中2年)写本の[[大須観音|真福寺]]所蔵本(重要文化財)などが知られている。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==