「ヘリオガバルス」の版間の差分

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少年皇帝が最初に結婚した相手は{{仮リンク|ユリア・コルネリア・パウラ|en|Julia Cornelia Paula}}という女性であり、[[220年]]に豪奢な[[結婚式]]が挙行されている<ref name=tsuru24/>。このときヘリオガバルスは、ローマ市民や兵士に対しても御祝儀を大盤振る舞いしたといわれる。コルネリア・パウラは、同じシリアに領地を持つ有力貴族の娘であったことから、皇帝即位時に周囲が決めた[[政略結婚]]であったと考えられている<ref name="herodian-history-v-6" />。彼女は[[アウグストゥス (称号)|アウグスタ]]([[皇后]])の称号を得たものの、この結婚生活は長く続かず、その年のうちに2人は[[離婚]]した。パウラが皇帝の異常ともいえる[[性的欲求]]に応えられないというのが離婚の理由であったと考えられている<ref name=tsuru24/>。
 
皇帝はパウラと離婚すると、220年末に「[[ウェスタの処女]]」たる[[巫女]]の{{仮リンク|アクウィリア・セウェラ|en|Aquilia Severa}}を[[強姦|手篭め]]にして[[再婚]]した<ref name="herodian-history-v-6" />。[[竈]](かまど)の神[[ウェスタ]]に仕える巫女は共同生活を送り、聖なる[[火]]を絶やさぬことを務めとしていた<ref name=tsuru24/><ref name=eliade>[[#エリアーデ|エリアーデ(2000)pp.168-169]]</ref>。幼少時に神職に召された巫女たちは「神々に身を捧げる」という意味から、その身を清らかに保つため、神に仕えるあいだ[[処女]]を貫くことが求められ、その禁忌を破った場合には生きたまま穴埋めされるという異常な[[掟]]があった<ref name=eliade/>。しかし、ヘリオガバルスはそのような掟は意に介せず、彼女と結ばれれば、神のように美しい子どもが授かると信じ、禁忌を破ってでも結婚したと伝えられている<ref name=tsuru24/>。
 
禁断の結婚に対する周囲の批判からほどなく、結婚半年でアクウィリアとの婚姻は解消され、[[221年]][[7月]]に3度目の妻として迎えたのは美貌で知られた{{仮リンク|アンニア・アウレリア・ファウスティナ|en|Annia Faustina}}であった<ref name="herodian-history-v-6" />。彼女は、[[五賢帝]]のひとりで哲人皇帝として知られた[[マルクス・アウレリウス]]の曾孫で、その子であり暴君として暗殺された[[コンモドゥス]]帝の大姪であった。これはセウェルス朝の前王家にあたる[[ネルウァ=アントニヌス朝]]との連続性を主張する政治的意図があったとみられる。この結婚もうまくいかず、221年中には離婚し、結局ヘリオガバルスはアクウィリアとよりを戻して4度目の結婚を果たした。