「玉音放送」の版間の差分

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[[ソ連対日参戦]]を受けて、1945年(昭和20年)[[8月14日]]、[[日本]]は[[御前会議]]において[[鈴木貫太郎]][[内閣総理大臣|首相]]が昭和天皇の[[聖断|判断]]を仰ぎ、[[7月26日]]に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]から示されていた[[ポツダム宣言]]の受諾を最終決定した(いわゆる[[聖断]])。
 
[[ポツダム宣言]]は「全[[日本軍|日本国軍隊]]ノ無条件降伏」(第13条)などを定めていたため、その受諾は[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])において、[[日本の降伏|日本が降伏]]することを意味した。御前会議での決定を受けて同日夜、詔書案が[[閣議]]([[鈴木貫太郎内閣]])にかけられ若干の修正を加えて文言を確定した。詔書案はそのまま[[昭和]][[天皇]]によって裁可され、終戦の詔書([[s:ja:大東亞戰爭終結ノ詔書|大東亜戦争終結ノ詔書]]、戦争終結ニ関スル詔書)として[[公布|発布]]された。この詔書は、[[天皇大権]]に基づいてポツダム宣言の受諾に関する勅旨を国民に宣布する文書である。ポツダム宣言受諾に関する詔書が発布されたことは、[[中立|中立国]]の[[スイス]]および[[スウェーデン]]駐在の日本公使館を通じて[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[中華民国]]、[[ソビエト連邦]]など[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の政府側に伝達された。
 
[[昭和]][[天皇]]は詔書を朗読して[[レコード|レコード盤]]に[[録音]]させ<ref group="注">この玉音(天皇の肉声)を録音されたレコード盤を'''玉音盤'''という。</ref>、翌15日[[正午]]よりラジオ放送により国民に詔書の内容を広く告げることとした。この玉音放送は法制上の効力を特に持つものではないが、天皇が敗戦の事実を直接国民に伝え、これを諭旨するという意味では強い影響力を持っていたと言える。当時より、敗戦の象徴的事象として考えられてきた。鈴木貫太郎以下による御前会議のあとも[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の一部には徹底抗戦を唱え、[[クーデター]]を意図し放送用の録音盤を実力で奪取しようとする動きがあったが、失敗に終わった([[宮城事件]]、録音盤事件)。
 
前日にはあらかじめ「15日正午より重大放送あり、全国民は皆謹んで聞くように」という旨の報道があり、また当日朝にはそれが天皇自ら行う放送であり、「正午には必ず国民はこれを聴くように」との注意が行われた。当時は電力事情が悪く間欠送電となっている地域もあったが、特別に全国で送電されることになっていた。また、当日の朝刊は放送終了後の午後に配達される特別措置がとられた。
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