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== 運用 ==
=== ヨーロッパ戦線 ===
第二次世界大戦の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の主力戦車で、アメリカの高い工業力で[[大量生産]]された。生産に携わった主要企業は11社にも及び、[[1945年]]までに全車種で49,234輌を生産した。各生産拠点に適した[[エンジン]]形式や生産方法を採る形で並行生産させたため、多くのバリエーションを持つが、構成部品を統一して互換性を持たせることにより高い信頼性や良好な運用効率が保たれていた。
[[File:Sherman tanks of the Eighth Army move across the desert.jpg|thumb|250px|エル・アラメインの戦いに投入されたイギリス軍のM4]]
第二次世界大戦の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の主力戦車で、アメリカの高い工業力で[[大量生産]]された。生産に携わった主要企業は11社にも及び、[[1945年]]までに全車種で49,234輌を生産した。各生産拠点に適した[[エンジン]]形式や生産方法を採る形で並行生産させたため、多くのバリエーションを持つが、構成部品を統一して互換性を持たせることにより高い信頼性や良好な運用効率が保たれていた。
 
M4が最初に戦闘に投入されたのは、[[北アフリカ戦線]]の[[エル・アラメインの戦い]]であった。アメリカ軍の機甲師団を投入しようという計画もあったが、補給の問題もあって[[レンドリース]]という形式で[[イギリス軍]]に送られたものであった<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1973|p=152}}</ref>。エルアラメインに送られたM4は初期型のM4A1、M4A2であったが、[[5 cm KwK 39|50mm 60口径砲]]搭載の[[III号戦車]]が主力の[[ドイツアフリカ軍団]]にはM4は難敵であり<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1971|p=161}}</ref>、ドイツ軍戦車は一方的に撃破された。特にM4が猛威を振るったのが75㎜の榴弾による[[8.8 cm FlaK 18/36/37|88㎜砲]]への攻撃であり、今までのイギリス軍戦車にはなかった破壊力で、次々と88㎜砲を撃破したことがドイツ軍の致命的な痛手となり、イギリス軍の勝利に大きく貢献した<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1971|p=178}}</ref>。
 
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United states| accessdate=2020-08-18| language=English}}</ref>。アメリカ軍はVI号戦車の脅威を知ると共に、ソ連から[[V号戦車パンター]]の情報を仕入れていたが、どちらの戦車も接触頻度が稀であったので、少数が配備される重戦車であると勘違いして、既に決定していた76.2㎜砲を搭載する以上の対策をとることはなかった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=18}}</ref>。一方で、イギリス軍はM4の対戦車能力向上のため、アメリカ軍の76.2mm砲よりは強力な[[オードナンス QF 17ポンド砲|17ポンド(76.2mm)対戦車砲]]を搭載した[[シャーマン ファイアフライ]]の開発を行っている<ref>{{Harvnb|ケネス・マクセイ|1973|p=181}}</ref>。
 
アメリカ軍の分析とは異なり、[[ノルマンディー上陸作戦]]からのフランスでの戦いで、M4とパンターやVI号戦車との交戦頻度は高く、75㎜砲搭載型はおろか76.2㎜砲搭載型も非力さが明らかになった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=23}}</ref>。アメリカ軍は対策として、急遽、新型の[[高速徹甲弾]]の生産を強化したが、この徹甲弾は、十分な数は行き届かなかったが、500mで208㎜の垂直鋼板貫通力を示し、76.2㎜砲搭載型M4の強力な武器となった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=22}}</ref>。また、M4は信頼性・生産性など[[工業製品]]としての完成度は高く、大量の補充と高い稼働率によって、高価すぎて且つ複雑な構造のドイツ軍戦車を総合力で圧倒するようになり<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=20}}</ref>、また、アメリカ軍戦車兵も熟練して、M4がパンターを一方的に撃破する戦闘も増えている。[[バルジの戦い]]において、1944年12月24日に、[[フレヌ]]に接近してきたアルフレッドハーゲシェイマー親衛隊大尉とフリッツ・ランガンケ親衛隊少尉が率いる11輌のパンターG型を、第32機甲旅団D中隊のM4シャーマン2輌が迎えうって、遠距離砲撃で6輌撃破し、2輌を損傷させて一旦撃退している。その後、ハーゲシェイマー隊は残った3輌のパンターで再度フレヌを目指し、途中で接触した[[M5軽戦車]]1輌を撃破したものの、またM4シャーマンからの砲撃で1輌を撃破され、ハーゲシェイマー車も命中弾を受けて損傷している。一旦退却した[[ドイツの戦車エース一覧|ドイツの戦車エース]]の1人でもあったランガンケは、命中弾を受けて自身のパンターが損傷していたため、フレヌ付近の森の中のくぼ地に身を潜めていたが、その後、監視任務からフレヌに無警戒で帰還してきた他の部隊のM4シャーマン4輌を撃破して一矢報いている<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=61}}</ref>。翌12月25日にもノヴィルを巡る戦いにおいても、M4シャーマンがわずか45分間の間に、一方的にパンターG型を6輌撃破して、ドイツ軍の攻撃を撃退している<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-9|1945|p=THE HEAVY MOBILE PUNCH}}</ref>。
 
バルジの戦いにおいて、最初の2週間でM4シャーマンはあらゆる原因によって320輌を喪失していたが、1,085輌が前線にあり、うち980輌が稼働状態とその抜群の信頼性を誇示していたのに対して、投入された415輌のパンターは、2週間で180輌が撃破され、残り235輌もまともに稼働していたのは45%の約100輌といった有様だった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=72}}</ref>。結局は、正面からの撃ち合いではパンターに分があったが、生産性、整備性、耐久力などすべてを比較すると、M4シャーマンの方が優れていたという評価もある<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=69}}</ref>。1944年8月から1944年12月のバルジの戦いまでの間の、アメリカ軍の第3機甲師団と第4機甲師団の統計によれば、全98回の戦車戦のなかでパンターとM4シャーマンが直接戦った戦闘は29回であったが、その29回を平均して、M4シャーマンの数的優勢は1.2倍に過ぎなかったにも関わらず、M4シャーマンの有用性はパンターの3.6倍であると評価され、特にM4シャーマンが防御に回ったときにはパンターの8.4倍の有用性があったとアメリカ軍は分析している<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=68}}</ref>。
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アメリカ軍はドイツ軍とは異なり、戦車の撃破数で賞されることはなかったが、[[クレイトン・エイブラムス]]大佐は戦車大隊長として巧みな指揮によって、[[アラクールの戦い]]で55輌のティーガーとパンターを撃破しただけではなく、自分が搭乗したM4シャーマン『サンダーボルト』で多数のドイツ軍戦車を撃破し、終戦までに50輌のドイツ軍戦闘車両を撃破している<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=46}}</ref>。また[[ラファイエット・G・プール]]准尉も、M4を3輌乗り換えながら、兵員1,000名殺害、捕虜250名確保、戦車などの戦闘車両258輌撃破の戦果を挙げている<ref>{{cite journal|last1=Woolner|first1=Frank|title=TEXAS TANKER|journal=YANK Magazine|date=September 22, 1944|url=http://www.3ad.com/history/wwll/pool.pages/yank.magazine.htm|accessdate=30 November 2014}}</ref>
<!--ただ、、[[兵器]]としては当時としても平凡な性能であり、アメリカ軍自身の[[機甲戦|戦車戦]]の経験不足もあって問題点も多かった。とくに経験豊富なドイツ軍が相手では一方的に撃破されることも珍しくなく、ドイツ軍重戦車の正面装甲をゼロ距離射ですら貫通できないこともあり、イギリス軍では[[シャーマン ファイアフライ|ファイアフライ]]への改造が進められたほどである。戦闘能力の不足はアメリカ軍の上層部にも理解している者もいたが、AGF(Army Ground Force/陸軍地上軍管理本部)が性能を過信しており、兵器の数を揃えつつ種類を統一して稼働率を上げ、物量で押し切ることとしたドクトリンにより、より強力な新型戦車の導入は遅らされ、M4の大量配備が優先された。その一方で戦場からの要望に伴い、順次改良(装填手用ハッチ追加、全周ビジョンブロック付き車長用[[キューポラ]]の導入、弾薬庫の移動および弾薬誘爆を防ぐ湿式弾薬庫の採用、76mm砲と新型[[徹甲弾]]の導入など)が施されている。 -->
[[北アフリカ]]および[[ヨーロッパ]]に加えて[[太平洋戦争]]にも投入された。また、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]など[[イギリス連邦]]加盟国のほか、[[ソビエト連邦]]に4,000輌以上、[[自由フランス軍]]や[[ポーランド亡命政府]]軍にも[[レンドリース法|レンドリース]]された。「M4の75mm砲は理想の武器」「敵重戦車も76mm砲で撃破できる」とするAGF(Army Ground Force/陸軍地上軍管理本部)の判断は[[M26パーシング]]の配備を遅らせ<ref>それどころか新型戦車の90mm砲搭載を止めさせ、75/76mm砲に換えるように指示さえしていた。</ref>、終戦まで連合国軍の[[主力戦車]]として活躍した。
 
=== 太平洋戦線 ===
[[ファイル:M4Tanks destroyed by land mines.jpg|thumb|250px|沖縄戦で日本軍に撃破されたM4]]
[[北アフリカ]]および[[ヨーロッパ]]に加えて[[太平洋戦争]]にも投入された。戦車戦力が弱い日本軍にとってM4は非常な難敵で、[[サイパンの戦い]]、[[ペリリューの戦い]]、[[ルソン島の戦い]]などでM4と日本軍の[[九七式中戦車]]や[[九五式軽戦車]]との戦車戦が戦われたが、日本軍の戦車が一方的に撃破されることが多かった。日本軍の戦車兵はそのようなM4を「動く要塞」と称した<ref>{{加登川幸太郎|1974|p=224}}</ref>。それでも、[[戦車第2師団 (日本軍)|戦車第2師団]]が戦ったルソン島の戦いにおいては、重見支隊(支隊長:[[重見伊三雄]]少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)が[[リンガエン湾]]に上陸してきたアメリカ軍を迎撃し、太平洋戦争最大の戦車戦が戦われた。九七式中戦車の[[一式四十七粍戦車砲]]を搭載した新砲塔型は接近すれば、M4の装甲を貫通することができたため、撃破されたM4も相当数に上り、アメリカ軍は九七式中戦車新砲塔型を「もっとも効果的な日本軍戦車」と評して警戒した<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-11|1945|p=THE MOST EFFECTIVE JAP TANK}}</ref>。
 
そこで日本軍のM4対策は、[[速射砲]]と地雷と歩兵による肉弾攻撃となったが、速射砲のなかでも[[一式機動四十七粍速射砲]]がM4をよく撃破した。[[沖縄戦]]ではM4を主力とするアメリカ陸軍の戦車隊が221輌撃破されたが<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=420}}</ref>、そのうち111輌が速射砲などの砲撃による損害であった。また、海兵隊も51輌のM4を撃破され<ref>[http://ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Okinawa/index.html Alexander (1996) , p. 34.]</ref>、合計272輌mp沖縄に投入されたアメリカ軍戦車のうち57%が損害を受けている<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=421}}</ref>。
[[北アフリカ]]および[[ヨーロッパ]]に加えて[[太平洋戦争]]にも投入された。また、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]など[[イギリス連邦]]加盟国のほか、[[ソビエト連邦]]に4,000輌以上、[[自由フランス軍]]や[[ポーランド亡命政府]]軍にも[[レンドリース法|レンドリース]]された。「M4の75mm砲は理想の武器」「敵重戦車も76mm砲で撃破できる」とするAGF(Army Ground Force/陸軍地上軍管理本部)の判断は[[M26パーシング]]の配備を遅らせ<ref>それどころか新型戦車の90mm砲搭載を止めさせ、75/76mm砲に換えるように指示さえしていた。</ref>、終戦まで連合国軍の[[主力戦車]]として活躍した。
 
第二次世界大戦後も[[朝鮮戦争]]や[[印パ戦争]]、[[中東戦争]]などで使用され、特にイスラエル国防軍はM4の中古・[[スクラップ]]を大量に収集再生し、初期の地上戦力の中核として活用、その後独自の改良により「最強のシャーマン」と呼ばれる[[スーパーシャーマン|M50/M51スーパーシャーマン]]を生み出している。第一線を退いた後も[[装甲回収車]]などの支援車両に改造され、最近まで各国で使用されていた。M4A3E8型は[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定|MSA協定]]により日本の[[陸上自衛隊]]にも供与されて[[1970年代]]半ばまで使用され、同年代末に[[61式戦車]]と交代する形で全車が退役した。21世紀を迎えてもなお少数が運用されていたが、2018年に[[パラグアイ]]で運用されていたM4A3の最後の3輌が退役し、これをもって正規軍で使用されていたM4は全車輌が退役した。
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*{{Citation|和書|author1=ケネス・マクセイ|author2=[[菊地晟]] 訳|title=米英機甲部隊―全戦車,発進せよ! |year=1973|publisher=サンケイ新聞社出版局|ref={{SfnRef|ケネス・マクセイ|1973}}|series=第二次世界大戦ブックス|asin=B000J9GKSS}}
* {{Cite book |和書 |author=スティーヴン・J. ザロガ |year=2010 |title=パンターvsシャーマン バルジの戦い1944 |publisher=[[大日本絵画]] |isbn=978-4499230162 |ref={{SfnRef|ザロガ|2010}} }}
* {{Cite book |author=Military Intelligence Service |year=1945 |title=Intelligence Bulletin, January 1944|publisher=Military Intelligence Service |volume=Intelligence Bulletin, January 1944 ||ref={{SfnRef|Military Intelligence Service 2-5|1944}} }}
* {{Cite book |author=Military Intelligence Service |year=1945 |title=Intelligence Bulletin, May 1945|publisher=Military Intelligence Service |volume=Intelligence Bulletin, May 1945 ||ref={{SfnRef|Military Intelligence Service 3-9|1945}} }}
}} }}
* {{Cite book |author=Military Intelligence Service |year=1945 |title=Intelligence Bulletin, MayJuly 1945|publisher=Military Intelligence Service |volume=Intelligence Bulletin, May 1945 ||ref={{SfnRef|Military Intelligence Service 3-11|1945}} }}
* {{Cite book|和書|author1=アメリカ陸軍省|author2=[[外間正四郎]]|title=沖縄:日米最後の戦闘|publisher=光人社|date=1997|series=光人社NF文庫|date=1997|ref={{SfnRef|アメリカ陸軍省|1997}}}}
*{{Citation|和書|author=加登川幸太郎|title=帝国陸軍機甲部隊 |year=1974|publisher=[[白金書房]]|ref={{SfnRef|加登川幸太郎|1974}}|asin=B000J9FY44}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|M4 Sherman|M4 Sherman}}