「M4中戦車」の版間の差分

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アメリカ軍の分析とは異なり、[[ノルマンディー上陸作戦]]からのフランスでの戦いで、M4とパンターやVI号戦車との交戦頻度は高く、75㎜砲搭載型はおろか76.2㎜砲搭載型も非力さが明らかになった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=23}}</ref>。アメリカ軍は対策として、急遽、新型の[[高速徹甲弾]]の生産を強化したが、この徹甲弾は、十分な数は行き届かなかったが、500mで208㎜の垂直鋼板貫通力を示し、76.2㎜砲搭載型M4の強力な武器となった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=22}}</ref>。また、M4は信頼性・生産性など[[工業製品]]としての完成度は高く、大量の補充と高い稼働率によって、高価すぎて且つ複雑な構造のドイツ軍戦車を総合力で圧倒するようになり<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=20}}</ref>、また、アメリカ軍戦車兵も熟練して、M4がパンターを一方的に撃破する戦闘も増えている。[[バルジの戦い]]において、1944年12月24日に、[[フレヌ]]に接近してきたアルフレッドハーゲシェイマー親衛隊大尉とフリッツ・ランガンケ親衛隊少尉が率いる11輌のパンターG型を、第32機甲旅団D中隊のM4シャーマン2輌が迎えうって、遠距離砲撃で6輌撃破し、2輌を損傷させて一旦撃退している。その後、ハーゲシェイマー隊は残った3輌のパンターで再度フレヌを目指し、途中で接触した[[M5軽戦車]]1輌を撃破したものの、またM4シャーマンからの砲撃で1輌を撃破され、ハーゲシェイマー車も命中弾を受けて損傷している。一旦退却した[[ドイツの戦車エース一覧|ドイツの戦車エース]]の1人でもあったランガンケは、命中弾を受けて自身のパンターが損傷していたため、フレヌ付近の森の中のくぼ地に身を潜めていたが、その後、監視任務からフレヌに無警戒で帰還してきた他の部隊のM4シャーマン4輌を撃破して一矢報いている<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=61}}</ref>。翌12月25日にもノヴィルを巡る戦いにおいても、M4シャーマンがわずか45分間の間に、一方的にパンターG型を6輌撃破して、ドイツ軍の攻撃を撃退している<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-9|1945|p=THE HEAVY MOBILE PUNCH}}</ref>。
 
バルジの戦いにおいて、最初の2週間でM4シャーマンはあらゆる原因によって320輌を喪失していたが、1,085輌が前線にあり、うち980輌が稼働状態とその抜群の信頼性を誇示していたのに対して、投入された415輌のパンターは、2週間で180輌が撃破され、残り235輌もまともに稼働していたのは45%の約100輌といった有様だった<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=72}}</ref>。結局は、正面からの撃ち合いではパンターに分があったが、生産性、整備性、耐久力などすべてを比較すると、M4シャーマンの方が優れていたという評価もある<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=69}}</ref>。1944年8月から1944年12月のバルジの戦いまでの間の、アメリカ軍の第3機甲師団と第4機甲師団の統計によれば、全98回の戦車戦のなかでパンターとM4シャーマンのみが直接戦った戦闘は29回であったが、その29回を平均して、M4シャーマンの数的優勢結果1.2倍に過ぎなかったにも関わらず、M4シャーマン下記有用性はパンターの3.6倍通りであると評価され、特にM4シャーマンが防御に回ったときにはパンターの8.4倍の有用性があったとアメリカ軍は分析している<ref>{{Harvnb|ザロガDavid C. Hardison|20102012|p=6819}}</ref>。
 
{| class="wikitable"
|+ M4とパンターの直接交戦による撃破数
! 攻守 !! 交戦数 !!交戦したM4の数 !! 撃破されたM4の数 !! 交戦したパンターの数  !! 撃破したパンターの数
|-
! 攻撃
| 9回 ||68輌 ||10輌||47輌||13輌
|-
! 防御
| 20回 ||115輌 ||6輌||98輌||59輌
|-
! 合計
| 29回 ||183輌 ||16輌||145輌||72輌
|-
|}
 
29回を平均して、M4シャーマンの数的優勢は1.2倍に過ぎなかったにも関わらず、M4シャーマンの有用性はパンターの3.6倍であると評価され、特にM4シャーマンが防御に回ったときにはパンターの8.4倍の有用性があったとアメリカ軍は分析している<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=68}}</ref>。
 
アメリカ軍はドイツ軍とは異なり、戦車の撃破数で賞されることはなかったが、[[クレイトン・エイブラムス]]大佐は戦車大隊長として巧みな指揮によって、[[アラクールの戦い]]で55輌のティーガーとパンターを撃破しただけではなく、自分が搭乗したM4シャーマン『サンダーボルト』で多数のドイツ軍戦車を撃破し、終戦までに50輌のドイツ軍戦闘車両を撃破している<ref>{{Harvnb|ザロガ|2010|p=46}}</ref>。また[[ラファイエット・G・プール]]准尉も、M4を3輌乗り換えながら、兵員1,000名殺害、捕虜250名確保、戦車などの戦闘車両258輌撃破の戦果を挙げている<ref>{{cite journal|last1=Woolner|first1=Frank|title=TEXAS TANKER|journal=YANK Magazine|date=September 22, 1944|url=http://www.3ad.com/history/wwll/pool.pages/yank.magazine.htm|accessdate=30 November 2014}}</ref>
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[[北アフリカ]]および[[ヨーロッパ]]に加えて[[太平洋戦争]]にも投入された。戦車戦力が弱い日本軍にとってM4は非常な難敵で、[[サイパンの戦い]]、[[グアムの戦い]]、[[ペリリューの戦い]]などでM4と日本軍の[[九七式中戦車]]や[[九五式軽戦車]]との戦車戦が戦われたが、日本軍戦車の[[九七式五糎七戦車砲]]や[[九八式三十七粍戦車砲]]はM4に命中してもまるでボールのように跳ね返されたということで、日本軍の戦車が一方的に撃破されることが多かった<ref>{{Harvnb|下田四郎|2014|p=224}}</ref>。日本軍の戦車兵はそのようなM4を「動く要塞」と称して恐れた<ref>{{Harvnb|加登川幸太郎|1974|p=224}}</ref>。それでも、[[戦車第2師団 (日本軍)|戦車第2師団]]が戦った[[ルソン島の戦い]]においては、重見支隊(支隊長:[[重見伊三雄]]少将。戦車第3旅団基幹の戦車約60両他)が[[リンガエン湾]]に上陸してきたアメリカ軍を迎撃し、太平洋戦争最大の戦車戦が戦われた。九七式中戦車改に搭載された[[一式四十七粍戦車砲]]は、500ヤード(約457.2m)で67㎜の装甲、1,000ヤード(約914.4m)で55㎜の装甲を貫通したので、M4の側面や後面の装甲であれば、かなりの遠距離からでも貫通可能であり、戦車戦で撃破されるM4も少なくはなく<ref>{{Harvnb|Steven Zaloga|2015|loc=電子版, 位置No.356}}</ref>、アメリカ軍は九七式中戦車新砲塔型を「もっとも効果的な日本軍戦車」と評して警戒した<ref>{{Harvnb|Military Intelligence Service 3-11|1945|p=THE MOST EFFECTIVE JAP TANK}}</ref>。戦車戦での不利を痛感した日本軍は、その後の[[硫黄島の戦い]]や[[沖縄戦]]では、戦車の車体を地面に埋めて、即席の対戦車トーチカとして使用するようになった<ref>{{Harvnb|Steven Zaloga|2015|loc=電子版, 位置No.1250}}</ref>。
 
そこで日本軍のM4対策は、[[速射砲]]と地雷と歩兵による肉弾攻撃となったが、速射砲のなかでも[[一式機動四十七粍速射砲]]がM4をよく撃破した。[[沖縄戦]]ではM4を主力とするアメリカ陸軍の戦車隊が221輌撃破されたが<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=420}}</ref>、そのうち111輌が速射砲などの砲撃による損害であった。また、海兵隊51輌のM4の損失を含めると合計272輌が撃破されたことになり<ref>[http://ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Okinawa/index.html Alexander (1996) , p. 34.]</ref>、これは、沖縄に投入されたアメリカ軍戦車のうち57%にも上っている<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=421}}</ref>。また沖縄戦においては、日本軍は[[段ボール]]大の木箱に爆薬を詰め込んだ急造爆雷を多数準備した。日本兵はこの急造爆雷をアメリカ軍戦車の[[キャタピラ]]に向けて投げつけるか、もしくは爆雷をもったまま体当たり攻撃をかけた<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=206}}</ref>。この特攻戦術は効果があり、激戦となった[[嘉数の戦い]]では、この歩兵による体当たり攻撃で1日に6輌のM4が撃破され、アメリカ陸軍の公式報告書でも「特に爆薬箱を持った日本軍兵士は、(アメリカ軍)戦車にとって大脅威だった。」と警戒していた<ref>{{Harvnb|アメリカ陸軍省|1997|p=207}}</ref>。
 
アメリカ軍戦車兵は、急造爆雷や磁力吸着式の[[九九式破甲爆雷]]で対戦車特攻を行ってくる日本兵を警戒し、戦車を攻撃しようとする日本兵を見つけると、優先して車載機銃で射撃したが、日本兵が抱えている爆雷に銃弾が命中すると爆発し、周囲の日本兵ごと吹き飛ばしてしまうこともあった。また、戦車内に多数の手榴弾を持ちこみ、対戦車特攻の日本兵が潜んでいそうな塹壕を見つけると、戦車のハッチを開けて塹壕に手榴弾を投げ込み、特攻するため潜んでいた日本兵を掃討している<ref>{{Harvnb|ハラス|2010|p=324}}</ref>。ほかにも、ハッチに爆薬を密着させないように多数のスパイクや金網を周囲に溶接、そのほか車体側面に木の板を装着、またはこれを型枠のように取り付け、車体との間にコンクリートを流し込み磁力吸着式の九九式破甲爆雷対策とした例も見られる。
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* {{Cite book |和書 |author=ジェームス・H. ハラス |year=2010 |title=沖縄シュガーローフの戦い 米海兵隊地獄の7日間 |publisher=光人社 |series=光人社NF文庫 |isbn=4769826532 |ref={{SfnRef|ハラス|2010}} }}
* {{Cite book |洋書 |author=Steven Zaloga |year=2015 |title=M4 Sherman vs Type 97 Chi-Ha: The Pacific 1945 |publisher=Osprey Publishing |isbn=978-1849086387 |ref={{SfnRef|Steven Zaloga|2015}} }}
* {{Cite book |洋書 |author=David C. Hardison |year=2012 |title=Data on World War II Tank Engagements: Involving the U.S. Third and Fourth Armored Divisions |publisher=Createspace Independent Pub |isbn=978-1470079062|ref={{SfnRef|David C. Hardison|2012}} }}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|M4 Sherman|M4 Sherman}}