「ウルム爆撃」の版間の差分

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'''ウルム爆撃'''(ウルムばくげき)は、[[第二次世界大戦]]中に[[ドイツ]]の[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]南部の都市[[ウルム]]に対して短期間に集中的に行われた[[空襲]]。最初に行われた、そして最も被害が大きかった空襲は、[[1944年]][[12月17日]]に行われたもので、死者707人、負傷者613人の被害が発生し、約2万5000人が家を失った。[[マギルス([[:en:Magirus|Magirus]]とケースボーラー([[:en:Kässbohrer|Kässbohrer]])の2つの[[貨物自動車]]工場が最初の標的とされた。市には、他にもいくつかの重要産業や[[ドイツ国防軍]]の兵舎や[[兵站]]があった。市の中心部・大聖堂前広場(Münsterplatz)から工業地帯や鉄道がある地域を通って、西部に抜けるコースを通った、25分間の空襲で315機の[[アブロ ランカスター]][[爆撃機]]と13機の[[デ・ハビランド モスキート]]軽爆撃機が合計1449トンの[[爆弾]]を投下した。ガルビッツ兵舎や複数の軍病院など14施設にわたって破壊された。市の歴史的な建造物である[[ウルム大聖堂]]の被害は軽微であった。2機のランカスター爆撃機がドイツの[[高射砲]]によって撃墜された<ref>[http://www.raf.mod.uk/bombercommand/dec44.html Royal Air Force Campaign Diary December 1944]</ref>。
 
[[1945年]][[3月1日]]と[[4月19日]]に続けて行われたイギリスとアメリカの空軍によって行われた空襲では、合計で632人が死亡した<ref>[http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=de&u=http://storytelling.swp.de/bombennacht/&prev=search Night of 100,000 Bombs]</ref>。終戦までに、ウルム市街地の81%が破壊された。1万2,756の建物の内無傷だったのは僅か1,763の建物だけだった。