「国際連合」の版間の差分

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=== 設立に至る経緯 ===
[[ファイル:Yalta Conference (Churchill, Roosevelt, Stalin) (B&W).jpg|thumb|right|240px|国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)[[ウィンストン・チャーチル]]、[[フランクリン・ルーズベルト]]、[[ヨシフ・スターリン]]([[ヤルタ会談]]にて)。]]
公称では、国連の前身は[[国際連盟]]である<ref>国際連合広報局 (2009:24)。</ref>。[[国際連盟]]は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、[[アメリカ]]が参加せず、[[ソビエト連邦]]も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、[[第二次世界大戦]]を防ぐことができなかった<ref>明石 (2006:30-31)、国際連合広報局 (2009:24)。</ref>。
 
[[1941年]]8月、カナダ東海岸[[ニューファンドランド島]]沖の[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]の艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相が会談し、[[大西洋憲章]]を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に[[国際連盟]]に代わる[[国際平和機構]]を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた<ref>吉田 (2003:40-41)。</ref>。その後、[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進み、[[サムナー・ウェルズ]][[アメリカ合衆国国務次官|国務次官]]の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案 ({{lang-en|Draft Constitution of International Organization}})」がほぼ完成していた。[[コーデル・ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章 ({{lang-en|The Charter of the United Nations}}) 草案」を完成させ、ハルは「国連の父」と呼ばれることになる<ref>Hulen, Bertram D. (1946-10-25). "Charter Becomes 'Law of Nations', 29 Ratifying It". The New York Times. p. 1. </ref><ref>{{Cite web|url=https://www.nobelprize.org/prizes/peace/1945/hull/facts/|title=Cordell Hull|accessdate=2020-07-31|publisher=[[ノーベル財団]]}}</ref>。同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月に[[ケベック・シティー|ケベック]]で米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英ソ中の4国が「すべての国の[[主権]]平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた<ref>最上 (2005:70-72)。</ref>。
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