「ホッケンハイムリンク」の版間の差分

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その後、1980年の[[パトリック・デパイユ]]の死亡事故を受けて、オストカーブ付近にも3つ目のシケインが作られた。その後は長きにわたって、森の中を走るストレートを3つのシケインで区切る形で構成する高速セクションと、曲がりくねった低速のスタジアムセクションの2つに分ける高速コースだった。しかし、1991年の[[エリック・コマス]]のクラッシュを受けてシケインが改修されるなど、小変更は何度か行われた。1980年代のオストシケインはただタイヤバリアで路面を区切っただけの急造シケインであり、タイヤバリアのタイヤが衝突の勢いでコース上に散らばる事がままあった。
なお、1993年WGPドイツグランプリでは、ロスマンズ・ホンダの[[伊藤真一]]がNSR500を駆り、200マイル(約320km/h)を達成。「200マイルライダー」としてギネス記録となった。
 
下記のコースレイアウト図(2002年 4,574 km)で灰色部分のレイアウトはフォレストゾーンと呼ばれていた。コース両側が木々で囲まれているため、雨が降るとマシンが巻き上げる水飛沫が拡散しにくく、非常に視界が悪くなった。旧コースは1コーナーからすぐに右に曲がり、インフィールドの入り口にショートカットする2.6kmのショートコースも存在し、[[旧ドイツツーリングカー選手権]]などで使われていた。