「三浦瑠麗」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
Kanata1963 (会話 | 投稿記録) 61.205.2.238 (会話) による ID:79213091 の版を取り消し タグ: 取り消し |
||
66行目:
*自身の[[Twitter]]で様々な反応が寄せられる中、認証マークが付いているからか暴力的なものや不快なものは出にくくなっているため、つぶさに見ていないと語っている。そのためブロックはほぼしていないが「悪意しか感じられないツイート」や「憎悪の塊みたいなもの」はミュートしているといい、「道端の[[犬]]の[[糞]]とか、[[タバコ]]の吸い殻とか、そういうものを拾って怒ったり悲しんだりして捨ててあげる人もいるんでしょうけれど、不快になるものをわざわざ見なくてもいいと思うんですよね」と述べている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/39eaa6b86fe340fa777642e49f6671e850cf5a8d 「不快な反応はわざわざ見ない」三浦瑠麗流SNSとの付き合い方とは] デイリー新潮5/21(木)</ref>。また、[[SNS]]で誹謗中傷を受けていた[[女子]][[プロレスラー]]の[[木村花]]が急死した件を受け、「[[テラスハウス]]の花さんが命を絶ったという。[[いじめ]]で[[自殺]]を選んだ多くの人がいる。私だってそうなっていたかもしれない。中傷する人はそもそもどんな文脈においても正義なんかではない」「世に出ている人がどれだけの憎悪を浴びて日々生きているか考えてほしい。異様な[[メンタル]]になっていくのだ」と述べている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/7ab1ee6b3ccfffdbce3f7fd66bf2882af5334678 三浦瑠麗氏、木村花さんの急死に思いつづる「世に出ている人がどれだけの憎悪を浴びて日々生きているか考えてほしい」] スポーツ報知5/25(月)</ref>。
=== 性被害 ===
*[[1995年]](平成7年)、当時中学3年生の14歳だった三浦は、学校から帰宅途中に男たちが乗り込んだ[[バン]]に引きずり込まれ、集団[[レイプ]]被害を受け
*この性被害の経験は、[[2019年]][[5月]]に出版された自叙伝『孤独の意味も、女であることの味わいも』([[新潮社]])で綴られたものであるが、一般人や[[メディア]]から多くの反響があった一方、[[フェミニスト]]たちはほぼ無反応だったという。この件は三浦とラジオ番組で共演した[[茂木健一郎]]も「いわゆるフェミニストの方々って言うのかな、そちらからの反応が薄かったなって思うんですけど、あれはなんでなの?」と疑問を呈しており、「人間の魂の1番深いところから出てきたような言葉に反応できない世間や、言論界って何なんだろうって思うよね」と語った<ref>[https://tfm-plus.gsj.mobi/news/FarUWIIDTI.html 三浦瑠麗「タダ働き要員なんだよね…」日本におけるシンクタンクのあり方に言及]TokyoFM+2020-06-19</ref><ref>[https://mi-mollet.com/articles/-/21269 絶対的な正解よりも、女性が「ノー」と言える社会を【三浦瑠麗×中野円佳】]ミモレ2019.12.30</ref>。
*事件に巻き込まれたことで「この世には絶対的な“悪”や“悪意”が存在していること」を初めて理解したとし、現在の自身の[[SNS]]での振舞い方にも影響しているという。“社会善”を標榜している人たちの中にも「人をねじ伏せたい」「生意気な女を罰したい」という感覚を持っている人がおり、そのような悪からは離れるべきであるとしている。三浦は[[乙武洋匡]]との共著の中で「会ったこともないのに、そしておそらく本を一冊最後まで読んだことがないだろうに、相手を憎むという行為そのものが理解できないですね。関わってろくなことがないに違いないと思います」と話している<ref>[『それでも、逃げない』(2019年12月、文春新書)]</ref>。
=== 家族の死 ===
*[[2010年]](平成22年)[[4月]]下旬、自然分娩で長女を[[死産]]している。22週を超えたところで、27㎝、410gという小ささだったという。娘を[[火葬]]し、家に連れて帰った後は、日常に復帰するのが難しかったといい、同じく子供を亡くした母親たちの[[インターネット]][[掲示板]]やベビー用品の[[Webサイト]]を見て数時間過ごす日々が続いたという。[[シビリアンコントロール]]について研究した博士論文を書き上げた直後の出来事であったが、後に自身の[[コラム]]で「彼女の死が無ければ、私の処女作はもっと痛みを伴わない、賢しらげなものだったかも知れない」と語っている<ref>『孤独の意味も、女であることの味わいも』(新潮社)</ref><ref>『私の考え』(新潮新書)</ref>。
|