削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
5行目:
斉の[[公族]]・[[田 (姓)|田氏]]の遠縁にあたり、[[ビン王 (斉)|湣王]]の頃に斉の都・[[臨シ区|臨淄]]の市場の役人となった。
 
[[紀元前284年]]、燕の将軍・[[楽毅]]率いる5ヶ国の連合軍によって斉が敗北し臨淄が占領されると、湣王は逃亡し[[キョ県|莒]]に立て籠もった。田単も東の安平へ逃げ込むが、燕の勢いを察知してか一族の者に馬車を補強させた。その後、燕軍によって安平が陥落すると人々は脱出したが、馬車の車軸が折れたりなどして燕軍に捕らえられる者が続出した。そんな中、補強していた田単の一族は無事に[[即墨県|即墨]]へ逃れることができた。
 
快進撃を続ける燕軍は70余もある斉の城を次々と落とし、残すは莒と即墨のみとなった。莒では湣王が宰相の淖歯に殺害され、その子・[[襄王 (斉)|襄王]]に代替わりする事態に陥っていたものの数年間も城を守り通していたため、攻めあぐねた楽毅は即墨に矛先を向けた。城を守る即墨の[[大夫]]はこれを迎撃するが返り討ちにあい敗死してしまう。これを受けて即墨では今後の方針が話し合われ、安平での出来事を知る者達から、その知略を嘱望されて田単が将軍に立てられ、城を守ることになった。