「伊藤博文」の版間の差分

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; 伊藤家
: 本姓[[藤原氏]]を称する。[[早川隆]]の著書『日本の上流社会と閨閥』によれば「もともと伊藤の家は[[小作人|水呑み百姓]]で父親十蔵は馬車ひきなどをしていたが食い詰めて[[長州藩]]の伊藤という[[武家奉公人|中間]]の家に下僕として住み込んでいるうちに子供のない同家の養子になり伊藤を名乗った。博文は幼名を利助といい捨て子だったという説もある。それが武士のはしくれから明治の指導者に出世すると家系が気になりだしたのか[[孝霊天皇]]の息子[[彦狭島命|伊予皇子]]の三男[[小千王子]]が祖先とか、[[河野通有]]の子孫とか言い出した。[[系図]]屋に、りっぱな系図を作らせるのは今も昔もよくある話で、とがめ立てするほどのこともあるまいが、偉くなってからの彼は故郷へはほとんど帰らなかった。昔の素性を知るものには頭が上がらないからである。だが、身分が低かろうが実力さえあれば偉くなれるという混乱期の日本を象徴するように首相、政党総裁、枢密院議長、[[公爵]]と位人臣(くらいじんしん)を極めた伊藤の生涯は、いわば明治版[[太閤記]]である」としている<ref>同書211、214頁</ref>。伊藤家の菩提寺は萩市津守町の[[浄土宗]]心徳院[[報恩寺]]<ref>[http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2009/0912/18p.html 萩の伊藤家墓碑修復 13日お披露目式][[山口新聞]] 2009年9月12日(土)掲載</ref><ref>[http://machihaku.city.hagi.lg.jp/onecoin/006/index.htm 伊藤博文公先祖の墓碑][[萩博物館]]</ref>。
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">伊藤家系図</div>
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