「アル=アクサー・モスク」の版間の差分
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イスラエル領と国際的に認められたわけでは無い |
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'''アル=アクサー・モスク''' ({{lang-ar|المسجد الأقصى}} {{lang|ar-Latn|al-Masjid al-Aqṣā}}) は、[[エルサレム旧市街]]の「[[神殿の丘]]」あるいは「ハラム・シャリーフ」({{lang|ar-Latn|al-Ḥaram al-Sharīf/al-Ḥaram al-Qudsī al-Sharīf}})と呼ばれる聖域の南に、[[ウマイヤ朝]]時代に創建された[[モスク]]である。'''銀のドーム'''とも呼ばれる。
==概要==
「アル=マスジド・アル=アクサー」とは「遠隔のモスク」の意味で、[[クルアーン]]17章1節の預言者[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]が[[ミウラージュ]]の奇跡において天馬[[ブラーク]]に跨がり昇天したのを記念するためにつくられた。[[705年]]から[[709年]]にかけてウマイヤ朝の[[ワリード1世]]によって建設された。しかし、13世紀および15世紀に火災などによって幾度も再建や改築されており、岩のドームや預言者のモスクと異なって創建当時の面影はミフラーブ手前のドームの壁面を除くとほとんど残されていない。
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[[メッカ|マッカ]]にある[[預言者のモスク]](白亜のモスク)、[[ウマイヤド・モスク]]などと並ぶ[[イスラーム]]最初期につくられたモスクのひとつである。当初は現在の[[カアバ]]以前の[[イスラム教]]の最高聖地だった。最初[[キブラ]]はここの方向に定められた。このモスクの[[キブラ]]の壁面はハラム・シャリーフの南側の境壁に一致している。近接して、真北130mほどのところ、ハラム・シャリーフの中央に[[岩のドーム]]がある。
立地は[[イスラエル]]
==脚注==
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