「ポスト構造主義」の版間の差分

タグ: Refタグつき記述の除去
 
== 成り立ち ==
1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動はフランス全土に拡大していった。そして1968年5月、労働人口の3分の2が一斉にストライキを起こしてフランス政府は体制が崩壊する寸前まで追い込まれた。しかし労働者の側にあるはずの[[フランス共産党]] (PCF) がストライキを押さえ込んだことから民衆による反体制運動は分裂ののち収束。保守勢力は野党勢力を分断して、総選挙の後は以前よりも体制を確固たるものとした。この[[五月革命 (フランス)|五月革命]]と呼ばれる熱狂的な政治事件の終結が、フランス知識人の正統派マルクス主義への幻滅を後押しした。デリダのテキストは、このような状況下で書かれた政治的実践であり、ポスト構造主義はマルクス主義が政治的に完全に終わったものとの立場から始まっている{{要出典|date=2019年1月}}<ref group="注釈">ポスト構造主義が形而上学的にマルクス主義を論破しているわけではないことに注意すべきである。</ref>
 
また[[構造主義]]は、人間やイデオロギーを細分化し客観的で普遍な構造を追求していたが、人間が絶対的な構造に支配されているという絶望感により政治や社会への参画に冷ややかであると考えられていたため目の前の現実に対処する力を持たなかった<ref group="注釈">[[ミシェル・フーコー]]は権力への抵抗により絶対的な真理を否定しておりポスト構造主義者と考えられている。</ref>。デリダによると人間が言葉([[ロゴス]])によって世界の全てを構造化できるという構造主義の発想も西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと指摘した。そこでデリダは[[脱構築]]を行い階層的な二項対立を批評する。