「ラオディケ (ミトリダテス6世の妹かつ妻)」の版間の差分

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== 若年期 ==
ラオディケはポントス王国の{{仮リンク|ラオディケ6世|en|Laodice VI|label=ラオディケ6世}}と{{仮リンク|ポントスの[[ミトリダテス5世|en|Mithridates V of Pontus(ポントス)|label=ミトリダテス5世}}]]の次女として生まれた。
 
彼女の父親は紀元前120年に[[スィノプ]]で暗殺された。彼は自身が主催していた豪勢な宴会で毒殺された<ref>Mayor, ''The Poison King: the life and legend of Mithradates, Rome’s deadliest enemy'' p.68</ref>。彼女の父親であるミトリダテス5世は、王国の支配をラオディケの母親と兄弟たち、ミトリダテス6世と{{仮リンク|ミトリダテス・クレストゥス|en|Mithridates Chrestus|label=ミトリダテス・クレストゥス}}の共同統治とするよう指示していた。ラオディケの兄弟はどちらも若すぎて政治に関与することができず、母親が摂政として全ての権力を掌握していた<ref>Mayor, ''The Poison King: the life and legend of Mithradates, Rome’s deadliest enemy'' p.69</ref>。ラオディケ6世の摂政としてのポントス支配は、紀元前120年から116年(あるいは紀元前113年)まで続いた。ラオディケ6世はミトリダテス6世よりもミトリダテス・クレストゥスを支援した。彼らの母親の治世中、ミトリダテス6世は自分に対して陰謀が企てられていることを察知し、逃亡した。