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{{条約
'''ブレダの和約'''([[英語|英]]:Treaty of Breda, [[オランダ語|蘭]]:Vrede van Breda)は、[[1667年]][[7月31日]]に[[ブレダ (オランダ)|ブレダ]]において、[[イングランド王国|イングランド]]と[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]の間で締結された[[講和条約]]。この和約により、[[英蘭戦争#第二次英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]は終結した。
|題名 =ブレダの和約
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|通称 =
|起草 =
|署名 =[[1667年]][[7月31日]]
|署名場所 =ブレダ
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|失効 =
|締約国 =[[イングランド王国]]と[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]
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|寄託者 =
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|内容 =[[英蘭戦争#第二次英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]の講和条約
|関連 =
|ウィキソース =
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'''ブレダの和約'''([[英語|英]]:Treaty of Breda, [[オランダ語|蘭]]:Vrede van Breda)は、[[1667年]][[7月31日]]に[[ブレダ (オランダ)|ブレダ]]において、[[イングランド王国|イングランド]]と[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]の間で締結された[[講和条約]]。この和約により、[[英蘭戦争#第二次英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]は終結した。
==概要==
第二次英蘭戦争はオランダが優勢にあったが、[[フランス王国|フランス]]との対立が深まっていたことなどから早期に戦争を終結させることが望まれていたため、イングランド側に若干譲歩した形で[[条約]]を締結することになった。
 
第二次英蘭戦争はオランダが優勢にあったが、[[フランス王国|フランス]]との対立が深まっていたことなどから早期に戦争を終結させることが望まれていたため、イングランド側に若干譲歩した形で[[条約]]を締結することになった。オランダ首相[[ヨハン・デ・ウィット|デ・ウィッテ]]の提案により占領地保有主義の原則が適用され、オランダは[[ニューアムステルダム]](現在の[[ニューヨーク]])を含む北米植民地をイングランドに割譲したが、占領した[[スリナム]]、[[ギアナ]]などの南米北岸を得た(後の[[オランダ領ギアナ]])ほか、イングランドの[[航海法]]を修正緩和し、[[ライン川]]を経由するオランダ船舶には適用されないこととした。
 
== 外部リンク ==