「名人 (小説)」の版間の差分

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{{Quotation|「名人」は題名が示す通り主になつた。相手の大竹七段は従である。作中、大竹七段と日日新聞の囲碁記者だけは仮名にした。大竹七段が[[木谷實]]七段(当時)なのはまぎれもない。名人を本名として相手の木谷七段は仮名としたのも、他意あつてのことではないが、この小説が作中の対局を必然に[[虚構]]して、迷惑をおよぼすだらうといふ気持から、書きはじめた時に、故人の名人は本名のままにしたけれども、木谷七段は仮名を用い、その後これにしたがつたまでである。|川端康成「あとがき」(『呉清源棋談・名人』)<ref name="atogaki"/>}}
 
ただし、大竹七段のモデルとなった木谷は、小説的技巧により冷たい人物として描かれたことに対し、(仮名を用いられたとはいえ)憤慨していたという弟子たちの証言がある<ref>[[内藤由起子]]「囲碁ライバル物語」([[マイナビ]])p.51 </ref>。
木谷実の[[弟子]]に[[大竹英雄]]がいるが、これは偶然である。このためある川端の研究者が「名人の対戦相手がまだ生存している」と聞いて、大竹の元を訪れてきたというエピソードがある。大竹英雄は、後にタイトル制の[[名人 (囲碁)|名人]]の座に就いている。
 
木谷実の[[弟子]]に[[大竹英雄]]がいるが、これは偶然である。このためある川端の研究者が「名人の対戦相手がまだ生存している」と聞いて、大竹の元を訪れてきたというエピソードがある。大竹英雄は、なぜ木谷の仮名を「大竹」としたのか真意を尋ねるべく、川端と食事会を設ける約束をしていたが、その直前に川端が自死したため、これは実現しなかった<ref>内藤由起子「それも一局」(水曜社)p.11</ref>。なお大竹英雄は、木谷の死去1ヶ月前にタイトル制の[[名人 (囲碁)|名人]]の座に就いている。
 
== 作品評価・研究 ==
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*{{Citation|和書|editor1=[[深澤晴美]]|editor2=[[細谷博]]|date=2010-10|title=川端康成作品論集成 第5巻――[[十六歳の日記]]・名人|publisher=[[おうふう]]|isbn=978-4273035754|ref={{Harvid|論集成5|2010}}}}
*{{Citation|和書|editor=[[保昌正夫]]|date=1984-03|title=新潮日本文学アルバム16 川端康成|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-620616-0|ref={{Harvid|アルバム川端|1984}}}}
*{{Citation|和書|author=[[内藤由起子]]|date=2020-05|title=囲碁ライバル物語|publisher=[[マイナビ]]|isbn=978-4-8399-7294-3|ref={{Harvid|内藤|2020}}}}
 
== 関連項目 ==