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大学時代は[[共産主義労働者党|プロ学同]]の一員として[[学生運動]]にかかわる。一年留年して、5年かかって大学を卒業<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.363</REF>。
 
=== 三流劇画編集長として ===
1974年の大学卒業後の秋、実話雑誌を刊行している出版社・明文社に入社するが、学生運動の経歴のため半月で解雇される<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右
社)P.198</REF>。なお、この会社には、「『[[本の雑誌」の]]』刊行前の[[目黒考二]]もいた<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.198</REF>。その後やはり実話雑誌系の出版社であった[[檸檬社]]うつり移籍し、[[小谷哲]]らと、雑[[エロ劇画|三流劇画誌]][[漫画大快楽]]』を1975年から1年半ほど編集・刊行する<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.200-201</REF>。
 
1976年には檸檬社の先輩だった小向一とともに、1976年に[[アリス出版]]の創業に参加<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.201</REF>。「学生運動終焉後、[[全学共闘会議|全共闘]]の残党が各雑誌の編集部に集まった」というウリだった「[[三流エロ劇画ブーム]]」の際に、[[1977年]]創刊の[[自販機本|自販機雑誌]]『[[劇画アリス]]』の創刊[[編集長]]を務め、その[[沢田研二]]に似た容姿から「三流エロ劇画界のジュリー」と呼ばれた。また同誌ではメジャー少年誌出身の[[吾妻ひでお]]の作品「に『[[不条理日記]]」を掲』の連を依頼し、話題を集めた。この間、三流エロ劇画を称揚する文章も多数発表し、[[石井隆]]を「青年劇画十年の総決算」と評し<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.181</REF>、エロ三流劇画ブームを批判した[[梶井純]]、[[権藤晋]]や[[山根貞男]]と論争を展開した<REF>亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)P.185</REF>。
 
=== コラムニスト・SF作家として ===