「ジェームズ・ボンド」の版間の差分

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=== イーオン・プロダクションズ ===
1960年頃、フレミングの原作を読んだプロデューサーの[[アルバート・R・ブロッコリ]]は、「これは映画化に向いている」と感じ、フレミングの元へ行き交渉を求めた。しかし、フレミングは映像権を一足先に[[ハリー・サルツマン]]に売り渡していた。一方のサルツマンは、映像権の有効期限内に出資先を見つけるべく奔走していたものの、金策に尽きていた状況だった。そこへ、ブロッコリが接触し、二人は手を組んで[[ロンドン]]に[[イーオン・プロダクションズ|イーオン・プロダクションズ]](以下イオン・プロ)を設立し、協力して007映画の制作に当たることになった。
 
プロダクションの設立後、サルツマンとブロッコリの二人は[[ハリウッド]]の大手映画会社[[ユナイテッド・アーティスツ]](以下UA)と契約を交わすべく渡米。[[ニューヨーク]]でUAの社長であった{{仮リンク|アーサー・B・クリム|en|Arthur B. Krim}}と面会し、映画化を打診した。当時UAの社長秘書でフレミングの原作の大ファンでもあった{{仮リンク|デヴィッド・V・ピッカー|en|David V. Picker}}の後押しも受け、UAの出資が決定した<ref>ピッカー自身もボンドシリーズの映像権取得に動いていたが、タイミングが会わず、結局サルツマンが取得することになった。</ref><ref>[https://jamesbond007news.com/2019/04/22/former-united-artists-president-david-picker-passes-away/ デヴィッド・ピッカーさん死去 ユナイト元社長]</ref>。この際UAはイオン・プロに対し、全面的な融資を行うこと、そして、最低でも7本のボンド映画の共同製作及び、配給を行うという条件で契約を交わし、遂に007の映画化プロジェクトが本格的に始動した。
== ボンド・アイテム ==
[[画像:Omega007.jpg|thumb|オメガ007モデル]]
 
*時計
**[[オメガ]]シーマスター300"SPECTRE"リミテッド (通算24作品目記念モデル 世界限定7007本)
**[[オメガ]]シーマスタープロフェッショナル(40周年通算20作目記念モデル)
**[[スウォッチ]]007モデル
 
*スーツ
**慰めの報酬 [[トム・フォード]] リージェンシー ライン 21BL4B、スカイフォール [[トム・フォード]] ライン名未定
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[ジェームズ・ボンド (鳥類学者)]] - 名前の由来となった鳥類学者
*[[イアン・フレミング]]
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==