「金素月」の版間の差分

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南山学校を卒業するとすぐに祖父の紹介で[[洪時玉]]家の娘、丹実と結婚した。学業を優先したい素月としては気の進まない結婚であった。
 
[[五山学校]]中学部で出会った教師、[[金億]]の影響で詩を書き始める。そして金億の口添えで文芸雑誌『[[創造 (朝鮮の雑誌)|創造]]』に「詩人の春」など五篇の詩を発表した。[[1922年]]、[[培材大学校|培材学校]]の5学年に編入した素月は、『[[開闢]]』を通して早くも37篇の詩を発表している。培材学校を卒業後、当時宗主国であった日に渡る。[[関東大震災]]で帰郷した[[1923年]]に発表した詩は、彼の代表作となった。
 
[[1925年]]、詩集『つつじの花』を出版したときが彼の頂点であった。その後、詩作が活発でなくなっていく。[[1926年]]頃から[[東亜日報]]の支局を運営するようになるが、思うようにいかなかったようで、土地を売って運営資金を捻出したが行き詰まり、3年後に事業をやめた。経済難が素月を追い込み、酒に身を委ねるようになった。
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