「A級戦犯」の版間の差分

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これらは前年の1952年に、国内外で戦犯として収監されている者を即時に釈放すべしという国民運動が発生し、4千万人の日本国民の署名が集まった事に起因する<ref>「“A級戦犯”はなぜ合祀されたか」『靖国論集』</ref>。そして「[[恩給法|恩給改正法]]」では受刑者本人の[[恩給]]支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11か国の同意を得たうえで、減刑された者については、{{要出典範囲|1956年までに出所が完了したとされる|date=2014年2月}}。
 
A級戦犯の「名誉の回復」については、[[1953年]](昭和28年)7月9日の厚生委員会において、[[日本社会党|社会党]]([[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]の旧称)の[[堤ツルヨ]]が「戦犯で処刑されたところの遺族の問題であります。処刑されないで判決を受けて服役中の留守家族は、留守家族の対象になつて保護されておるのに、早く殺されたがために、獄死をされたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその[[英霊]]は[[靖国神社]]の中にさえも入れてもらえないというようなことを今日遺族は非常に嘆いておられます。」「当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのは当然であると思います。」と答弁した<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0790/01606230790005c.html 第16回 衆議院議事録 -厚生委員会議事録16号]- 昭和28年7月9日(木曜日)78ヶ目の質疑</ref>。
 
=== 昭和殉難者としての靖国神社合祀 ===