「草薙神社」の版間の差分

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社伝では、[[景行天皇]]53年に天皇が[[ヤマトタケル|日本武尊]]ゆかりの地を巡幸した際、9月20日に天皇が当地に着き日本武尊の霊を奉斎したのが創建という<ref name="由緒書"/>。また、天皇は当社に[[神体]]として[[草薙剣]]を奉納したが、この草薙剣が[[朱鳥]]元年([[686年]])に[[天武天皇]]の勅命により[[熱田神宮]]に移されたとも伝えている<ref name="由緒書"/>。また社伝では、当社は古くは清水区草薙1丁目の「天皇原(てんのうばら)」と称される地に鎮座したという<ref name="説明板"/>。現在地への遷座時期は明らかでないが、一説に[[天正]]18年([[1590年]])の造営時とする<ref name="説明板"/>。
 
歴史考証の上では、前述の通り当社の創建にはヤマトタケル伝説が大きく関係するとされる。[[静岡市]]一帯には、大規模古墳として[[葵区]]の[[谷津山古墳]](全長110メートル)や[[清水区]]の[[三池平古墳]](全長65メートル)が残るが、これらの古墳を築いた勢力の服属が伝説成立の背景にあると推測される{{Sfn|草薙神社(神々)|1987年}}。なお、当地の首長古墳は「清水区庵原や谷津山丘陵(前期:4世紀代)→瀬名丘陵(中期:5世紀代)→有度山北麓(後期:6世紀代)」と変遷したと推測されるが{{Sfn|草薙神社(神々)|1987年}}{{Sfn|西ノ原古墳群(平)|1979年}}、これらのうち清水区庵原付近に[[久佐奈岐神社]]が、有度山北麓に当社が鎮座する。
 
また、「クサナギ」の名を焼畑系地名に由来するとする説もある{{Sfn|草薙神社(神々)|1987年}}。その中で、伝説の中でヤマトタケルが向火をつける様も野焼きの延焼防止としてよく知られる手法であることも併せて指摘され、先行する焼畑系地名に基いてヤマトタケルの火難伝説が成立したと推測される{{Sfn|草薙神社(神々)|1987年}}。ヤマトタケル伝説の成立以前の当社については、山の神として焼畑作物を与える神であったとも、谷部にあることから水の神であったとも考えられている{{Sfn|草薙神社(神々)|1987年}}。