「片桐且元」の版間の差分

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*江戸時代中期の随筆家[[神沢杜口]]は『翁草』で、「忠義面した且元は大坂に弓を引いた。悪人と憎まれた大野治長は運命を共にした」と評した。
*大坂の陣を描いた軍記物語『[[難波戦記]]』では、且元が秀頼に参勤交代をさせるなどの3案は、家康が死去するまでの時間稼ぎ策だったとしている。[[辻善之助]]は『片桐且元論』において、{{疑問点範囲|『山本日記私記』には早くも見られるが、『山本日記』自体には無いもので、後年の編者などに書き加えられたものとしている|date=2020年3月|title=「山本日記私記」「山本日記」「難波戦記」の関連性が明示されていないので、非常に意味が通りにくい}}。辻は且元の人格は平凡だったと評している。
 
== 系譜 ==
*父:[[片桐直貞]]
*母:不詳
*正室:[[片桐俊元]](半右衛門)娘
*生母不明の子女
**男子:采女
**次男:[[片桐孝利]](1601-1638)
**四男:[[片桐為元]](1611-1654) - [[片桐孝利]]の養子
**女子:[[片桐孝利]]養女 - [[成瀬之成]]継室
**女子:小出某室
**女子:[[畠山政信]]正室
 
== 脚注 ==