「タオカス族」の版間の差分

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新港社/東社、西社(今の[[苗栗県]]後龍鎮新民里)で開催
 
patayPatay:祖霊祭である。男性しかお参りできなく、関係者以外の方と女性の立ち入り禁止。鹿肉、お酒、魚、おこわ、豚肉をお供えする。母語でご先祖に祈る。
 
牽田祭(牽奠祭):旧暦八月15日、十五夜の前後に行う。当日の午前、マラソンみたいな成年式「Mata」を始め、参加者は頑張って走り、大潭という祖霊がいる淵/池で一旦集めて、正座で祖霊に拝んで伝え、供え物を水に投げてから、また走って戻る。優勝者は鹿の角で飾られた鉢卷き/帽子をもらえる。
 
夕べに「扮番」という男性は蓑を着て、笠をかぶっている、銅鑼を打ち鳴らしながら、町内を巡って、今夜祭りが開催することを知らせる。元々は鹿の皮で衣装を着ていたそうである。
 
牽田祭が行う前にも非公開にpatayを行う。
 
夜にいよいよ「舉大旗」を開き、「issama」と呼ばれる男性3名は旗を立て挿しているままに、布で体に縛り付けて、背負って、助手が側に丁寧に助け協力して、祭りの広場に入る。
 
旗竿は、3本の高さが約6~7メートル、長いと短い2本の竹で組み立ってて作っておき、上に鈴を付け、赤リボンで飾られ、白布の旗が風に吹かれ、はためいており、ご先祖を迎えるように、立て揚げる。旗が倒れてしまうことは絶対許せない。倒れれば、大凶や縁起が悪いで、祭りが行っているところに、ちゃんと守らなければ、いかない。「牽大田(旗頭)」が歌われている時、丸一本の旗が背負われ。風が強すぎる場合と「牽小田」と「旗尾」のパート、取り外して、短い竹で作った旗が背負われる
 
昔、「issama」の資格審査があった。既婚2年以内、当年家族にお葬儀がない、初回「issama」担任など。選ばれてもらったら、祭りが無事終了になって、Hinpu(お餅のような米加工食品)を用意して、皆にお土産として配るので、経済力が無かったら、なれなかったそうである。それにまた忌があり、お嫁さんが妊娠中あるいはお葬儀のある男性、そして女性全員は旗にお触り厳禁。
タオかス族は老若男女問わず、広場でお互いに手を繋がり、足を踏み、輪になって、祀る歌を唄っている。その時、旗を背負っている男性3名は踊りの輪に囲まれ、扮番が打ってる銅鑼が鳴ってるテンポによって、輪に沿って、踏んで歩いている。
 
タオかス族は老若男女問わず、広場でお互いに手を繋がり、足を踏み、輪になって、踊りながら、祀る歌を唄っている。その時、旗を背負っている男性3名は踊りの輪に囲まれ、扮番が打ってる銅鑼が鳴ってるテンポによって、輪に沿って、踏んで歩いている。
 
祀る歌は3曲があり、「牽大田(旗頭)」はご先祖に捧げ、厳かで、悲しそうである。一方、「牽小田」と「旗尾」はご先祖をお見送りなので、雰囲気が楽しそうである。
房裡社(今の南投県埔里鎮房里)で開催
 
Emalo祖霊祭:日本の学者伊能嘉矩と淺井惠倫が調査と報告書によって、旧暦の7月に開かったそうである。確実の開催日はまた部落によって違っていたそうだ。
Emalo祖霊祭
 
競走Mataが開催して、基本的に優勝は担当者の家族の方に譲って。
 
各家族の女性目上の方は皆を率いて、水源地でご先祖の精霊を迎えて、家に連れて戻り。担任者は銅鑼を打ち鳴らし、祖霊祭が間もなく開催を知らせ、祭りの広場に集めに行こう。
 
地上におにぎり、魚、お酒、鹿肉、阿拉粿(葉で葉で包まれたお餅)をお供え、ご先祖に祈る。
 
そして皆は手を繋がって踊りながら、「emalo~emalo~」を唄って、ご先祖に追懐する一方、お供え物も自由的に取っていただけそうである。
 
 
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== 脚注 ==
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<references/>
 
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