「コカ・コロニゼーション」の版間の差分

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== 歴史 ==
コカコロナイゼーションの概念は、第二次世界大戦初頭にさかのぼる <ref name=":0">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1993/08/15/business/viewpoints-a-brief-history-of-coca-colonization.html|title=A Brief History of Coca-Colonization|last=Pendergrast|first=Mark|date=1993|newspaper=|accessdate=}}</ref> 時間が経つにつれて、一部の国はアメリカの清涼飲料に抵抗を拒絶したが、他の国はそれを公然と受け入れた。 全体として、それはアメリカとその文化を代表し、20世紀の主要な歴史的出来事の大部分で、コーラは出席しました。 <ref name=":2">{{Cite journal|last=Gordon|first=Matthew|date=2011|title=Coca-Colonization: The Exportation of "America" to Europe Following World War II|url=|journal=HubPages|accessdate=|DOI=|PMID=}}</ref>
 
「このブランドは[[1880年]]代後半にさかのぼりますが、基本的なブランド提案-コカコーラは満足しています。コカコーラは楽しくてさわやかな飲み物です-ブランド名とその独特のロゴも同様に、ほとんど変わっていません。」 <ref name=":12">{{Cite journal|last=Slater|first=Jan S.|year=2001|title=Collecting Brand Loyalty: A Comparative Analysis of How Coca-Cola and Hallmark Use Collecting Behavior to Enhance Brand Loyalty|url=https://www.acrwebsite.org/volumes/8513/volumes/v28/NA-28|journal=Advances in Consumer Research|volume=28}}</ref> このようなコカコーラのイメージは今日も続いています
 
=== 第二次世界大戦 ===
第二次世界大が勃発して[[アメリカ軍]]が海外に派遣されたとき、コカコーラの会社は、制服を着た[[アメリカ人]]ならどこにいても5セントでコーラを入手できるはずだようにすると誓いました <ref>{{Cite web|title=Coke and the U.S. troops|url=http://www.coca-colacompany.com/stories/2008/11/coke-and-the-us/|website=The Coca-Cola Company|accessdate=2015-12-09}}</ref> その結果、。こうして同社は[[太平洋戦争|太平洋]]と[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線に]]瓶詰めステーションを建設しました。
[[ファイル:Vintage_Coca-Cola_Vending_Machines_2.jpg|サムネイル| 第二次世界大戦の旧式コカコーラ自動販売機。 ]]
[[ドイツ人]]はコーラを「ユダヤ系アメリカ人」の飲み物であると認識していた。 応答では、 [[ナチス・ドイツ|ナチスの]]それが表示されている場合政権が唯一の国でコーラを許さ[[卍]]それがなかったボトルには、。 <ref name=":0">{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1993/08/15/business/viewpoints-a-brief-history-of-coca-colonization.html|title=A Brief History of Coca-Colonization|last=Pendergrast|first=Mark|date=1993|newspaper=|accessdate=}}</ref> [[ソビエト連邦|ソビエト連邦]]では]] 、戦争の英雄マーシャル[[ゲオルギー・ジューコフ|ゲオルギジューコフ]]が飲み物コーラを愛していましたが、ソビエトの指導者[[ヨシフ・スターリン|ジョセフスターリン]]はそれを[[アメリカ帝国|アメリカ帝国主義]]象徴と見なしそのいかなる消費を禁じました。 解決策として、コカコーラは、ジュコフが疑いなくコーラを摂取できるように、白いキャップと赤い星を偽装した透明バージョンのドリンクを開発しました。
 
[[太平洋戦争]]の前線で、コーラ軍隊に到着運搬するのに非常に苦労しました。 この問題に対処するために、同社は[[太平洋|太平洋の]]島全体に分散された携帯用ソーダ噴水を作成しま設置した <ref name=":4">{{Cite web|title=On the Front Lines with Coca Cola Pt II|url=http://envisioningtheamericandream.com/2013/05/30/on-the-front-lines-with-coca-cola-pt-ii/|website=Envisioning The American Dream|accessdate=2015-12-09|date=2013-05-30}}</ref> 。[[アジア|アジア諸国]]の人々コカ初めてコーラを経験しました飲んだ 同社によれば「コーラはアメリカの生き方を象徴するものだった」という理由で飲み物は島中に広まったという
 
戦争中、コーラはソーダの広告を世界中に分散させました。 広告の大部分は、その国の原住民とソーダを飲んでいるアメリカ人兵士を表示しました。 <ref name=":4">{{Cite web|title=On the Front Lines with Coca Cola Pt II|url=http://envisioningtheamericandream.com/2013/05/30/on-the-front-lines-with-coca-cola-pt-ii/|website=Envisioning The American Dream|accessdate=2015-12-09|date=2013-05-30}}</ref> 広告が米国以外の国にある場合、その国の母国語で書かれていました。 人気のある広告は[[ニュージーランド|、ニュージーランド]] 、ロシア、 [[フィリピン]] 、 [[ニューファンドランド島|ニューファンドランド]] 、 [[イタリア]] 、 [[イングランド|イギリス]] 、および[[ポーランド]]でコーラを持っているアメリカ人を好意的にイメージしていまし[[ポーランド|た]] 。 コカコーラによれば、「アドミラル諸島のジャングルから[[リグーリア海岸|リビエラの]]役員クラブまで」、コーラとアメリカがそこにいた。