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'''長艸 敏明'''(ながくさ としあき、[[1948年]] - )は[[刺
[[京刺
40代で一職人としてではなく、刺
直接、依頼者と作り手が話し合いながら依頼者に合わせた着物を制作するという、現在では多く見られるスタイルは、当時の呉服問屋業界からは異端視され、制作者から消費者にわたるまでに5倍や10倍になる呉服業界では危険視された。
その影響で仕事が全く依頼されない時期があったが、その頃に多くの作品を生み出し、現在の代表作となっている。のちに本人は、顔が見えるお客様に適正な価格で良いものを手にしていただきたかっただけと語っているが、そのスタイルは現在も引き継がれている。直接依頼していただくことを望んでいるため、流通している商品はごく僅かである。
1994年能衣装・小袖展([[パリ]]・バガテル城、パリ市後援)で、欧州のデザイナー・芸術家・マスメディアから高い評価を受けたことで、皮肉にも日本国内で知られることになる。また、[[ディオール|クリスチャン・ディオール]]の主任デザイナーとしても知られる[[ジョン・ガリアーノ]]のディオール復帰コレクションの際に記者会見で「長艸敏明に影響を受けた」と発言し、国内外で話題となった。のちに来日し長艸敏明の工房を訪ねている。同時期にピエールカルダンにも賞賛されている。
近年では京都祇園祭の占出山、北観音山などの復元新調を手掛け、日本中の祭に用いられている文化財の刺
[[能装束]]などの舞台衣装や歴史的文化財の修復など、伝統文化とその技術を継承し保存する立場を厳しく貫く一方、欧州のコレクションへの協力や[[タペストリー]]、ドレス、時計などの刺
日本の皇室とも関わりが深く、皇室デザイナーであった植田いつこ氏より依頼を受け、美智子皇后陛下(当時)のドレスの刺
2017年から京都刺
2019年に「京の名工」に選ばれている。
1994年 能衣装・小袖展(フランス パリ・バガテル城 パリ市後援
1995年 エルメス本店 ディスプレイ刺
1996年 衆議院本館議長室欄間孔雀文・復元・新調
2015 年 京都 祇園祭「北観音山」水引幕 復元新調
2017 年 京都刺
2019 年 「京の名工」に認定「
妻は[[長艸純恵]]。刺
公私ともに夫を支えており、作家でありながら長艸敏明のプロデューサーという側面もある。京都、東京で刺
長男は[[長艸真吾]]。[[関西大学]]社会学部卒業ののち、再び4年制の[[京都市立芸術大学]]美術学部を卒業。論文で市長賞を受賞。
芸術家・アートプロデューサー。長艸敏明の工房「長艸
== 主な受賞歴 ==
== 著書 ==
「長艸敏明の刺
「
== 外部リンク ==
*[https://www.nagakusa.info/ 長艸刺
{{デフォルトソート:なかさく としあき}}
[[Category:日本のファッションデザイナー]]
[[Category:刺
[[Category:1948年生]]
[[Category:京都府出身の人物]]
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