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== 経歴 ==
[[大江音人]]に学び<ref>『[[扶桑略記]]』貞観19年11月3日条</ref>、[[貞観 (日本)|貞観]]年間初め頃に[[紀伝道|文章得業生]]になり、[[正八位|正八位下]]に叙せられる。貞観2年([[860年]])6月[[対策]]の及第により三階級の加叙を受け[[従七位|従七位上]]となる。のち[[内記|大内記]]に任ぜられる。貞観3年([[861年]])巨勢河守の奏上により、兄弟とみられる文主・文宗<ref>滝川[2009: 40]</ref>と共に味酒(うまさけ)首姓から巨勢朝臣姓に改賜姓される。なおこの改姓の理由について、文雄は以下を述べている<ref name="a">『日本三代実録』貞観3年9月26日条</ref>。
*[[酒]]というものは[[儀礼]]において重要であるが、度を過ぎることを強く戒めるべきものである。しかし、現在の[[姓]]は酒を首(第一)とするとしているため、常々改姓したいと考えており、甚だしく家が衰えていることを兄弟で深く憂いている。
*[[家系]]によると本来は平群姓を与えられるべき。しかし、平群の字義(平凡な群れ)は凡であるところ、巨勢は字義が優れており、また平群と巨勢は兄弟であり他人ではないことから、巨勢姓を賜与されても問題ない。