「新律綱領」の版間の差分

個別具体的な内容については公布はされず、124の条目から成る[[仮刑律]]として運用された。しかしながら近代化を推し進めたい明治政府としては旧態依然とした仮刑律からの脱却を加速させるべく、1869年10月7日、[[刑部省]]に対し新律の編纂を命じた<ref>谷正之『[https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1507&file_id=21&file_no=1 弁護士の誕生とその背景]』p.285</ref>。編纂は[[水本成美]]、[[鶴田皓]]、[[村田保]]、[[長野文炳]]らが担当し、新律綱領と命名された<ref>谷正之『[https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1507&file_id=21&file_no=1 弁護士の誕生とその背景]』p.286</ref>。1870年1月20日、[[太政官]]により新律綱領の公布が予告され、同年12月27日に全国頒布された<ref name="seiritu_034">北條 浩,宮平 真弥『[https://rku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3314&item_no=1&page_id=13&block_id=21 日本近代刑法の成立過程]』p.34</ref>。
 
1872年に[[江藤新平]]が[[司法卿]]に就任すると[[フランス]]から法典の研究・翻訳がさかんに行われるようになり、1873年6月13日に[[司法省]]より新律綱領を補足・修正する[[改定律例]]が制定頒布され(実施は7月10日)、内容も条文形式が採用されるなどフランスの刑法の影響が見えるようになった<ref>谷正之『[https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1507&file_id=21&file_no=1 弁護士の誕生とその背景]』p.288</ref>。改定律例制定後も[[大木喬任]]のもとで[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]、[[名村泰蔵]]、鶴田皓、[[山田顕義]]らによって刑法典の編纂は続けられ、1880年7月17日にフランス刑法を範とした近代的刑法典である[[旧刑法]]が制定布告されるに至った<ref>谷正之『[https://matsuyama-u-r.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1507&file_id=21&file_no=1 弁護士の誕生とその背景]』p.292</ref>。これに伴い新律綱領は1882年に旧刑法の施行により廃止とされ、その役目を終えた<ref name="buri"/>。
 
== 内容 ==
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