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'''王朝連合''' ({{Lang-en-short|dynastic union}})は、[[連邦]]の一種であり、2つの異なる国が同一の[[王朝]]の下にある状態。両国間の国境や法律や利害などは分離したままである <ref>Lalor, ed. Various authors. See Contents. Cyclopaedia of Political Science. New York: Maynard, Merrill, and Co., ed. [[:en:John Joseph Lalor]], 1899.</ref>。これは一人の君主を戴く[[同君連合]]とは異なる。
 
== [[アラゴン王国]][[ナバラ王国]]の連合 ==
ナバラ王{{仮リンク|サンチョ4世 (ナバラ王)|en|Sancho IV of Pamplona|label=サンチョ4世}}の暗殺により、 [[ナバラ王国]]は彼のいとこである[[カスティーリャ王国]]の[[アルフォンソ6世 (カスティーリャ王)|カスティーリャ王アルフォンソ6世]]と[[アラゴン王国]]の[[サンチョ1世 (アラゴン王)|アラゴン王サンチョ1世]]によって侵略され、後者は1076年に王(ナバラ王サンチョ5世)となり、半世紀以上(1076年〜1134年)に及ぶアラゴン支配をもたらした。
 
== [[アラゴン王国]][[バルセロナ伯]]領の連合 ==
バルセロナ伯[[ラモン・バランゲー4世]]とアラゴンの未来の女王である[[ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラ]]の婚姻が1137年に[[アラゴン連合王国]]を生み出した<ref>{{cite web|url=http://libro.uca.edu/montcada/intro.htm|title=A Medieval Catalan Noble Family: the Montcadas, 1000–1230|author=John C. Shideler|accessdate=24 April 2008}}</ref><ref>{{cite web|url=http://libro.uca.edu/aarhms/newsletters/AAHRMSFall07text.pdf|title=Els impostos indirectes en el regne de Mallorca.|author=Cateura Benàsser, Pau|accessdate=24 April 2008|archive-url=https://wayback.archive-it.org/all/20081003182453/http://libro.uca.edu/aarhms/newsletters/aahrmsfall07text.pdf|archive-date=3 October 2008|url-status=dead}} El Tall dels Temps, 14. (Palma de) Mallorca: El Tall, 1996. {{ISBN|84-96019-28-4}}. 127pp.</ref>。
 
== [[カスティーリャ王国|カスティーリャの王冠]][[アラゴン連合王国|アラゴンの王冠]]の連合 ==
[[スペイン王国]]の基礎となった1469年の[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|カスティーリャのイサベル]]と[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|アラゴンのフェルナンド]]の婚姻。 彼らはそれぞれ、1474年と1479年までそれぞれの王位にはなかった<ref>{{cite web|url=http://libro.uca.edu/chaytor/hac16.htm|work=A History of Aragon and Catalonia|title=Juan II. Union of Aragon with Castile|author=H. J. Chaytor|accessdate=17 April 2008}}</ref>。
 
== [[スペイン王国]][[ポルトガル王国]]の連合 ==
スペイン(カスティーリャの王冠とアラゴンの王冠の連合)と[[ポルトガル]]とのいわゆる{{仮リンク|フィリペ王朝|en|Philippine dynasty|label=}}による王朝連合(1580年–1640年)<ref>{{cite web|url=http://libro.uca.edu/payne1/payne10.htm|title=Chapter Ten, The Expansion|work=A History of Spain and Portugal, Volume 1|author=Stanley G. Payne|accessdate=24 April 2008}}</ref>は、現代の歴史家からは一般に{{仮リンク|イベリア連合|en|Iberian Union|label=}}と呼ばれている。
 
== [[リトアニア大公国]][[ポーランド王国]]の連合 ==
[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|リトアニアのヨガイラ]]と[[ヤドヴィガ (ポーランド女王)|ポーランドのヤドヴィガ]]の1385年の婚姻。一般には[[クレヴォ合同]]と呼ばれる。この連合が最終的に[[ポーランド・リトアニア共和国]]を形成する基礎となった。
 
== [[フランス王国]][[ナバラ王国]]の連合 ==
[[サリカ法典]]に従い[[ブルボン家]]の一員であった[[アンリ4世 (フランス王)|ナバラ王のアンリ3世]]は、1589年に[[ヴァロワ朝]]の男系が断絶したときにフランス王位を継承してフランス王アンリ4世となった。 どちらの家も、987年以来フランス王国の支配者であった[[カペー朝]]の分家だった。
 
== [[イングランド王国]][[スコットランド王国]]の連合 ==
[[エリザベス1世|イングランド女王エリザベス1世]]が1603年に亡くなったとき、イングランドの王位継承者はスコットランドの[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ6世]]だった。一般に[[王冠連合]]と呼ばれるこの王朝連合は、1603年から1653年までと([[イングランド共和国]]による断絶を挟んで)1659年から[[合同法 (1707年)|1707年の合同法]]による両国の政治的統一まで続いた。
 
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