「アラゴン連合王国」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1137年]]に[[アラゴン王国]]の[[ラミロ2世 (アラゴン王)|ラミロ2世]]王の一人娘[[ペトロニラ (アラゴン女王)|ペトロニラ]]女王と[[カタルーニャ君主国|カタルーニャ]]の君主である[[バルセロナ伯]][[ラモン・バランゲー4世]]の結婚によって、原初の[[王朝連合]]が成立した。これはアラゴンによるカタルーニャの併合でもその逆でもなく、両者がそれぞれの政治制度を維持したまま対等な連合関係を結んだものである。ラモン・バランゲー4世はカタルーニャとともにアラゴンの統治も行い、ペトロニラとの間の息子[[アルフォンソ2世 (アラゴン王)|アルフォンソ2世]]はアラゴン王とバルセロナ伯を兼ねた。
 
[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]の女王[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]の夫で共同君主であったフェルナンド5世がアラゴン王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]として即位した[[1479年]]に、[[スペイン|スペイン王国]]へと統合されたと見なすことができる。これもまた各国が政治制度を維持したままの連合であったが、実態としてはカスティーリャを中心とするものであり、[[スペイン継承戦争]]を経て[[スペイン・ブルボン朝]]の支配が確立した18世紀初めには、新国家基本法により旧来の政治機構は解体されて中央集権化が図られた。