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諸陵式について
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'''諸陵寮'''(しょりょうりょう/みささぎのつかさ)は、[[律令制]]において[[治部省]]に属した機関。明治政府初年にも諸陵寮は短い年間復活しいちど一度廃止されたが、再編改称などを経て、[[1886年]]([[明治]]19年)再興をはたしている。その後身である[[宮内庁書陵部]]が現在、陵墓([[天皇陵]])を管理している。
 
== 律令制での職掌・沿革 ==
諸陵寮は[[律令]]では'''諸陵司'''(和訓:みささぎのつかさ)として設置された。[[729年]]([[神亀]]6年/[[天平]]元年)に[[寮 (律令制)|寮]]に昇格した。諸陵寮・諸陵司の職掌は[[陵墓]]の管理・[[喪葬]]・[[皇族]][[葬儀]]の儀礼などである。特に陵墓管理については[[陵戸]]の名簿を管理してその守衛にあたらせた。凶事が起こった際には死者のたたりと考えて寮の役人を不遇であった[[皇族]]の陵墓に送ってこれを慰めた。[[早良親王]]に対するものが有名である。
 
== 職員 ==
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* 守戸
 
== 明治政府 ==
明治政府では、[[1869年]]([[明治2年]]9月17日)公布において諸陵寮は再興されて、[[神祇官]]の配属とし、頭、助、允、属等の官員を置いたが、このとき諸陵頭は[[宮内省|宮内大丞]]の[[戸田忠至]]が兼任した。<ref name=ishinshi-5-478>{{cite book|author=文部省維新史料編纂事務局|title=維新史|volume=5|year=1941|location=第4章祭政一致|pages=478-|url={{NDLDC|1242382/260}}|id={{近代デジタルライブラリー|1242382}}}}</ref><ref name="toike">{{cite book|和書|last=外池|first=昇|title=天皇陵の近代史|url=//books.google.co.jp/books?id=c7cyAQAAIAAJ|format=snippet|year=2000|publisher=[[吉川弘文館]]|page=71|authorlink=外池昇|origyear=1999|isbn=4-642-05483-9}} ISBN 978-4-642-05483-6 </ref>。このとき歴代の陵墓の調査などがおこなわれ、[[1870年]]([[明治3年]])7月23日)大友皇子に[[弘文天皇]]、大炊王に[[淳仁天皇]]、懐成親王に[[仲恭天皇]]の[[諡号]]が[[追贈]]された<ref name=ishinshi-5-478/>。
 
[[1871年]](([[明治4年8]])8月4日)、諸陵寮は[[神祇省]]に統廃合されたが、神祇省を廃止分割して[[1872年(]]([[明治5年3]])3月14日)に新設した[[教部省]]に諸陵課が置かれた<ref name=ishinshi-5-478/>。教部省は、[[1874年(]]([[明治]]7年8)8月3日)に諸陵掛を設置<ref name=toike/>。のちに事務が[[宮内省]]に移管され、[[1878年]](明治11年3)3月1日)に宮内省御陵墓掛が置かれ<ref name=toike/>、[[1883年]](明治16 1)1月19日)に御陵墓課に改められ、ついに[[1886年]](明治19年2)2月4日)諸陵寮が復興した<ref name=toike/><ref name=ishinshi-5-478/>。
 
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[日本の官制]]
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{{宮内省}}
 
{{Japanese-history-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:しよりようりよう}}
[[Category:律令制の官制]]
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[[Category:宮内省]]
[[Category:日本の陵墓]]
{{Japanese-history-stub}}