「ロバート・キッパス」の版間の差分

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めらず
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特に最後に挙げた要因は、神宮プールで見た超満員の熱狂する観衆を見てキッパスが感じたことであり、潤沢な資金を選手強化に使っているとキッパスは勘違いした{{sfn|杢代|2018|p=44}}。実際は選手強化費にはそれほど割いておらず、田畑は組織力強化に資金を投入していた{{sfn|杢代|2018|p=44}}。日米対抗水上大会は[[興行]]としても成功を収め、アメリカチーム全員の旅費と大会経費を差し引いても、まだ3 - 4年分の選手強化費を賄えるほどの大きな黒字を計上した{{sfn|杢代|2018|pp=43-44}}。ロサンゼルスオリンピックを前に取材を受けたキッパスは「現状では日本に勝てないことを自覚している」、「私は勝敗を予想する元気もない」と語り、田畑の思惑通り自信喪失に陥っていた{{sfn|杢代|2018|p=45, 84}}。
 
戦後、[[1948年ロンドンオリンピック]]には日本の出場が認めらず、田畑は[[日本選手権水泳競技大会|日本選手権]]をオリンピックと同日開催した<ref name="ko"/>{{sfn|杢代|2018|p=122}}。この日本選手権で[[古橋廣之進]]と[[橋爪四郎]]はオリンピック金メダリストの記録を破り、キッパスは「日本水泳界の復活おめでとう」という[[電報]]を送った<ref name="ko"/>。この祝電は会場の神宮プールでも読み上げられ、観客の拍手を浴びた{{sfn|杢代|2018|p=123}}<ref name="sk1707">{{cite web|url=https://www.sankei.com/column/news/170711/clm1707110009-n2.html|title=“トビウオ”とその時代(2)五輪王者は世界王者にあらず 日本がたたきつけた挑戦状|publisher=[[産経新聞]]|author=金子昌世|date=2017-07-11|accessdate=2019-08-16}}</ref>。また[[葉室鐵夫]]は、古橋らの記録を聞いたキッパスが耳をピクッとさせて「日本が来なくて幸いだったよ」と発言したことを外電で伝えた<ref name="sk1707"/>。(キッパス率いる[[1948年ロンドンオリンピックのアメリカ合衆国選手団|アメリカ代表]]は、ロンドンオリンピックで大会史上初の[[1948年ロンドンオリンピックの競泳競技|男子競泳全種目制覇]]を達成した{{sfn|杢代|2018|p=123}}。)翌[[1949年]]に日本水泳連盟(水連)は[[国際水泳連盟]](FINA)への復帰を許されるが、その背後でキッパスが「水連がFINAの資格停止になっているのは戦中の会費滞納が理由であるから、滞納分さえ納めれば復帰できるのではないか」とFINAに掛け合ったことが影響している{{sfn|杢代|2018|p=48}}。キッパスと田畑の個人的な友情が、他の競技に先駆けて日本の水泳が国際復帰できた要因である{{sfn|杢代|2018|p=48}}。
 
[[1950年]]、古橋廣之進はイェール大学を訪問してキッパスと面会し、その場で{{仮リンク|ジョン・マーシャル (水泳選手)|label=ジョン・マーシャル|en|John Marshall (swimmer)}}との一騎打ちを打診され、辛勝した<ref>{{cite web|url=https://www.joc.or.jp/column/athleteinterview/legend/01furuhashi/html/index.html|title=Japanese Olympian Spirits 第1回 古橋廣之進|publisher=[[日本オリンピック委員会]]|accessdate=2019-08-16}}</ref>。同年、キッパスは日米対抗水上競技のアメリカチーム監督として来日し、[[多摩川]]の土手で歓迎会を受けた{{sfn|上野|1965|p=6}}。この時、日本の監督・[[松沢一鶴]]は泥酔して河原に転落、額と頬を負傷したという逸話がある{{sfn|上野|1965|p=6}}。
 
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[[Category:水泳指導者]]