「ジャパンパシフィックエアラインズ」の版間の差分
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==概要==
[[1997年]][[5月1日]]、ビジネス[[コンサルタント]]の東八寿久を中心に設立された<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>。株主は[[シダックス]]等で、1997年10月時点での資本金は1億円であった<ref>月刊エアライン1998年3月号、101ページ。</ref>。
社長に就任した東は元々[[ニューヨーク]]で日本の食材の輸入を手掛けていた<ref>週刊ダイヤモンド1997年7月26日号、100ページ。</ref>が、[[1994年]]に日本へ帰国した。帰国と同時期に[[グアム]]の航空会社より日本からのチャーター便増便の
当初の5か年計画によれば、[[1999年]]から[[2001年]]にかけて毎年1機ずつ機数を増やす予定であり<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>、旅客機4機に加えて貨物機の導入も計画していた<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>。
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運行開始初年度は利用客数70万人、売上42億円を見込んでいた<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>。4機体制となる2001年には280億円の売り上げを想定していた<ref>週刊ダイヤモンド1997年7月26日号、100ページ。</ref>。
機内サービスでは[[カジノ]]、[[カラオケ]]、[[お笑い芸人]]や[[歌手]]による[[ディナーショー]]<ref>週刊ダイヤモンド1997年7月26日号、100ページ。</ref>、[[ゲーム]] <ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>などが予定されていた。
また、機体や機内を広告媒体とする計画であり、実現すれば[[日本エアシステム]]に次いで日本国内で2例目となるはずであった<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>。1997年7月に公開された機体マーキング図案では、自社ロゴは機体後部のみに描かれ、機体前方はホワイトベースのまま残されており、この場所およびエンジンナセルを広告スペースとして活用する予定だった<ref>月刊エアライン1998年1月号、6ページ。</ref>。機内でもCM上映や新商品の販売などを実施し、広告収入による売り上げも年間約3億円を見込んでいた<ref>月刊エアライン1997年10月号、88ページ。</ref>。
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