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| movement =
| notable_works = 雑誌<br/>『[[官能劇画]]』<br/>『[[月刊Peke]]』<br/>『[[エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント|三流劇画の世界]]』<br/>『[[アリス出版#代表的な出版物|ガール&ガール]]』<br/>『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』<br/>『[https://www.cyzo.com/2012/11/post_11850_entry.html ロリコン大全集]』<br/>『[[ロリコンHOUSE]]』<br/>単行本<br/>『思春期症候群』<br/>『エロティック・トラウマ』<br/>『ナイロン100%スクール水着』<br/>『ポルノ雑誌の昭和史』
| production = [[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]→[[みのり書房]]→[[アリス出版]]→[[群雄社出版]]→[[フリーランス|フリー]]→川本耕次写真事務所→Office A_C_P→フリー
| influences = [[米沢嘉博]]
| influenced = [[吾妻ひでお]]<br />[[内山亜紀]]<br />[[さべあのま]]<br />[[山添みづき]]<br />[[斉田石也]]
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== 来歴 ==
=== 迷宮―三流劇画ブーム ===
[[静岡県]][[三島市]]出身。大学在学中から[[貸本劇画]]を研究していた縁で[[コミックマーケット]]代表の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]らと出会い、コミケの母体となった[[漫画評論|漫画批評]][[同人サークル|集団]]「'''[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]'''」に出入りする<ref name="20th Century"/><ref>{{Wayback |url=http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/10/post_1057.html|title=私事ですが - ネットゲリラ(2009年10月13日配信)|date=20111120104715}}</ref>。この頃、迷宮の『[[漫画新批評大系]]』に「'''[https://web.archive.org/web/20111116094110/http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/10/post_2e27.html 三流劇画ミニマップ]'''」と題した記事を「'''[[エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント|全国三流劇画共斗会ギ]]'''」名義で寄稿し、これが'''[[三流劇画ブーム]]'''の直接的なきっかけとなった<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 38頁</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20150310201056/http://www2.alice-novell.cc/pict/propeke/act2.html 川本耕次「プロジェクト・ペケ 猥褻犯たち 第二章 劇画アリスの伝説」]</ref><ref>[[高取英]]「米澤嘉博氏の思い出」米澤英子ほか『米澤嘉博に花束を』[[虎馬書房]] 2007年8月 78-79頁</ref>。川本は後に「たった一人で『全国三流劇画共斗会議』を名乗るなんて人騒がせにもほどがあるという意見もあるだろうが、そのありもしない『全三共』の幻影にみんなが踊らされて[[論争]]がまきおこったんだから、[[トラブルメーカー]]を自認する僕としては満足だ」と述懐する<ref>川本耕次「“三流劇画共斗”ってナーニ?──正体不明、不毛のエロ劇画論争」『別冊新評 三流劇画の世界』新評社 1979年4月 162-164頁</ref>。
 
=== ニューウェーブ漫画誌『Peke』創刊 ===
その後、[[エロ劇画誌|三流劇画]]の取材で訪問した[[みのり書房]]に入社して1977年10月から『[[官能劇画]]』の編集者となる<ref name="20th Century"/>。1978年8月には『[[月刊OUT]]』で初の[[吾妻ひでお]]特集である「'''吾妻ひでおのメロウな世界'''」を担当し<ref>[http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruinb15c.html#110521 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日)] 倉田わたるの廃墟通信</ref>、翌9月から先駆的な[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ漫画誌]]『'''[[Peke]]'''』(みのり書房)を創刊する<ref name="yoneto">[http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)] [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref>。同誌では吾妻にSFパロディ『[[ななこSOS#概要|どーでもいんなーすぺーす]]』(吾妻の代表作『[[ななこSOS]]』の原型となった)を描かせたほか、みのり書房の編集部に出入りしていた無名時代の[[内山亜紀]](ロリコン漫画を初めて描かせる)と[[さべあのま]]をデビューさせ<ref name="fus zadankai"/>、大学時代からの知人であった[[ホラー漫画#ホラー漫画家|怪奇漫画家]]の[[日野日出志]]を復活させる<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37頁</ref><ref>{{cite web|author=野次馬|date=2016-08-14|url=http://my.shadowcity.jp/2016/08/post-9788.html|title=戦後怪奇マンガ史|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-03-09}}</ref>。
 
=== アリス出版で『少女アリス』編集長に―ロリコンブーム到来 ===
同誌廃刊後は[[米澤嘉博|米沢嘉博]]の仲介<ref>{{Wayback |url=http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/09/post_44a0.html|title=昭和ポルノ史 第十八章 余は如何にしてエロ本屋になりしか|date=20100924094139}}</ref>で1979年春から[[アリス出版]]に移籍、合併アリスでは第五編集部編集長に就任する<ref name="yonezawa58"/>{{Sfn|安田|但馬|1997|p=180}}<ref name="kawamoto104">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 104頁</ref>。入社当初は[[レズビアン雑誌|レズ雑誌]]『[[アリス出版#代表的な出版物|ガール&ガール]]』を編集していたが<ref>{{Wayback |url=http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/07/post_086f.html|title=昭和ポルノ史 第十六章 擬似少女と擬似レズ|date=20100713231920}}</ref>、同年初冬には'''[[ロリコンブーム]]'''の火付け役<ref name="20th Century"/>となった伝説的[[自販機本]]『'''[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]'''』(アリス出版)の2代目編集長となり<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 111頁</ref>、同誌では[[ビニ本]]界の伝説的アイドルであった[[寺山久美]]([[寺山修司]]主宰の[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]][[劇団]]「[[天井桟敷 (劇団)|天井桟敷]]」出身の[[文学少女]])をモデルに[[新潟県]][[上越市]]で写真撮影を敢行したほか<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 169-172頁</ref>、コミケットで日本初のロリコン漫画同人誌『'''[[シベール (同人誌)|シベール]]'''』を発表していた[[吾妻ひでお]]に美少女漫画を依頼して「'''[[純文学シリーズ]]'''」を描かせる(後に[[奇想天外社]]から『[[陽射し]]』としてB5判ハードカバーで単行本化された)<ref name="kawamoto112"/>。この連作は[[叙情]]的に描かれた美少女の[[エロティシズム]]を明確にテーマにした全8編の作品群で、後の[[ロリコン漫画]](美少女コミック)に直結する最重要作品群とみなされている<ref>[[大塚英志]]+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』[[講談社]]〈[[講談社現代新書]]〉2001年、ISBN 978-4061495531。</ref>。なお吾妻は川本について「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と『[[失踪日記]]』で語っていたほか<ref>[[吾妻ひでお]]『[[失踪日記]]』[[イースト・プレス]] 2005年3月 142頁</ref>、川本自身も「毎回通って、時には徹夜にもつきあって、原稿をいただいた時の感激は忘れません。時代を変える作品だと、あの頃から確信していました」と述懐している<ref>[https://twitter.com/shadowcity/status/1055822457339179008 川本耕次のツイート] 2018年10月26日</ref>。
 
なお川本が編集を手がけた『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』について第2次[[ロリコンブーム]]中心人物の[[斉田石也]]は「厳密に言えば、本物の少女は登場していないものの、当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるようなババアが[[セーラー服]]姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった[[自販機本]]業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合グラフ誌だった。この『少女アリス』の編集の中心的人物こそ誰あろう川本耕次氏なのだ。当時は[[編集者]]、[[カメラマン]]、[[著作家|ライター]]等々、一人で何役もこなしていたと聞いている。当時の『少女アリス』に掲載された[[女子高生]]の告白物語などは、全てノンフィクションだと信じていた。ところが、当時、その文章の大半を川本氏と青葉伊賀丸氏は捏造していたと聞き、かなりのショックを受けた。もちろん信じていたのにィという恨み節もあるが、それ以上に、あれだけのサイクルであれだけの量の文章を、しかも、専任ライターではなく様々な仕事をこなしながら書き綴っていたことがショックだったのだ。そして『少女アリス』を30号近くまで継続させた川本氏のパワーが、後に[[ロリコンブーム]]の布石になったことは、いまさら説明を必要としないだろう。『少女アリス』から『ありす』そして『アリス倶楽部』さらに『ロリコンハウス〜ロリくらぶ』を経て『[[アリス・クラブ|アリスクラブ]]』まで、常に専門誌に少なからず影響を与えている氏の存在こそ、当時のパワーの延長と言える」と非常に高く評価している{{Sfn|斉田|1994|p=87}}。
 
=== 群雄社を経て『ロリコンHOUSE』監修 ===
その後、[[アリス出版]]から派生した[[群雄社出版]]で[[官能小説家]]兼[[エディター]]兼[[カメラマン]]として活動し、同社では4冊のロリータ官能小説を上梓したほか『街には女の子たちがいっぱい』『[https://www.cyzo.com/2012/11/post_11850_entry.html ロリコン大全集]』『ありす』『アリス倶楽部』などの編集にも携わる<ref>この頃、編集助手として後に『[[漫画ブリッコ]]』編集者となる緒方源次郎(現・[[小形克宏]])が川本の仕事を手伝っている</ref>。群雄社倒産後は読み物中心のロリータ総合誌『'''[[ロリコンHOUSE]]'''』([[三和出版]])を創刊号から監修し「'''[[処女太り]]'''」という女子中高生が[[女性ホルモン]]の関係で[[思春期]]の一時的に太っている状態を指す[[造語]]を提唱する{{Sfn|斉田|1994|p=89}}<ref>[https://togetter.com/li/1289045 『危ない1号』編集長の青山正明が創刊した伝説のSM雑誌『サバト』の思い出] - [[Togetter]] 2018年11月16日</ref>。またこの頃、ロリータアイドルの[[山添みづき]]を世に送り出し<ref>[https://web.archive.org/web/20150310193529/http://www2.alice-novell.cc/pict/gal2/gallery2.html 川本耕次「少女アリスの伝説」]</ref>、一方でアンティーク少女・少年写真の[[コレクター]]として[[はがき|ポストカード]][[コレクション]]写真集『セピア色の少女たち』(シティ出版)の監修を手がけるなど叙情的な美意識も垣間見せた<ref>[https://web.archive.org/web/20010305080908/http://hoippuchan.tripod.com/80s_erogekiga.htm 80年代美少女症候群 三流劇画ブームについて]</ref>。