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この後、チャパルとオロスがオゴデイ家の主導権をめぐって抗争をはじめると、ドゥアはオゴデイ家の内紛を好機とみて[[アルタイ山脈]]を越え、[[ジュンガリア]]に侵攻してきた元軍と連携してオゴデイ家の各勢力を各個撃破していった。
 
[[1306年]]、ドゥアはチャパルの追放に成功し、アルタイ山脈以西の「[[オゴデイ・ハン国|カイドゥ・ウルス]]」の旧勢力圏を統一して、中央アジア一帯にチャガタイ・ハン国の広大な支配圏を築き上げた。このとき、[[モンケ]]の粛清以後、政権としては解体同然であったチャガタイ家の[[ウルス]]が、実質的に後世「[[チャガタイ・ハン国]]」と呼ばれる姿で建国を果たしたのであった。
 
ドゥアはさらに[[ヒンドゥークシュ山脈|ヒンドゥークシュ]]方面にも進出して[[アフガニスタン]]まで勢力下に置きチャガタイ・ハン国の最盛期を築き上げたが、まもなく病を得て死去した。
 
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