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=== ザ・スタイル・カウンシル時代 (1983年 - 1989年) ===
より「黒さ」を追求するウェラーはネオ・モッズ・バンド「[[マートン・パーカス]]」のオルガンプレイヤーであった[[ミック・タルボット]]とともに[[ポップ・ミュージック|ポップス]]/[[ソウルミュージック|ソウル]]ユニット、[[ザ・スタイル・カウンシル]]を結成。1983年53月に1stシングル「[[スピーク・ライク・ア・チャイルド (曲)|スピーク・ライク・ア・チャイルド]]」を発表し、ソウルや[[R&B]]の影響が濃い[[ブラック・コンテンポラリー]]的なサウンドへのシフトを見せた。硬派なイメージだったジャム時代のファンの期待は裏切ることになったが、今度はよりポップで洒落たイメージで人気を得る。しかしそのイメージとは反対に歌詞は当時のサッチャー体制に対して過激なものを多分に含み、政治批判をより明確に打ち出していった。非常に実験的・前衛的な楽曲が多く、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]のグループとして認識されることも多い。
 
スタイル・カウンシルは1984年の1stアルバム『カフェ・ブリュ (Café Bleu)』が高い評価をもって迎えられ、1985年には2ndアルバム『アワ・フェイバリット・ショップ (Our Favourite Shop)』が全英1位となるなど、新たな地位を確立していく。また当時バブル経済の真っ只中にあった日本でも、時代にマッチした「おしゃれな音楽」として受け入れられ人気を博す。しかしその後あまりに音楽性が多様化しすぎてしまったことなどにより方向性を見失い、徐々に迷走を始める。セールス的にも不振に陥り、1989年には[[ハウス (音楽)|ハウス]]色の強いアルバム『モダニズム (Modernism-A New Decade)』を製作するも所属していた[[ポリドール]]からリリースを拒否され、半ば自然消滅という寂しい形で解散となってしまった。