「ヨーガ学派」の版間の差分

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厳密な[[二元論]]であり無神論または非神論の[[サーンキヤ学派]]の形而上学を骨子とし、同派の姉妹学派といわれるが、自在神(最高神)イーシュヴァラを認めるなど多くの点で異なる<ref name="kb" />。ヴィヤーサ(Vyasa、5 - 6世紀)の註釈書『ヨーガ・バーシャ』(バーシヤ、Yoga-bhashya)や、これに対する{{仮リンク|ヴァーチャスパティ・ミシュラ|en|Vācaspati Miśra}}(10世紀頃)の復注である『タットヴァ・ヴァイシャーラディー』には[[仏教]]や[[ジャイナ教]]と共に[[サーンキヤ学派]]の影響が強くみられるが、ヨーガ学派は『ヨーガ・スートラ』だけでなく、これらの他にも数多く著された注釈類を含む{{sfn|宮本|2005|pp=84-85}}。特に『ヨーガ・バーシャ』は『ヨーガ・シャーストラ』と呼ばれ、『ヨーガ・スートラ』と同じくらい重んじられた{{sfn|雲井|1985}}{{sfn|宮本|2005|pp=84-85}}。
 
ヨーガ学派の自在神は、世界創造の最高神ではなく、ヨーガ行者が修行中に祈念する対象とされている。形而上学的な世界観を確立したサーンキヤ学派に対し、ヨーガ学派は「心の諸作用の止滅」を主目的とする救済技術を発達させ、これに伴う心の作用自体を探求して心の理論を精緻に整え、解脱に至る実践的な行法の体系を示した{{sfn|宮本|2005|pp=84-85}}。記憶や意識下の潜在印象(サンスカーラ、[[薫習]]、習気(じっけ))が煩悩を形成する原因になると考えられたため、心の作用だけでなく、潜在印象についてもかなり深い考察がなされている{{sfn|宮本|2005|pp=84-85}}。サーンキヤ・ヨーガの体系では、心は常に転変し、それに伴い潜在印象が生まれ続けると考えられ、修習と離欲を繰り返すある意味パラドキシカルな修行の階梯を上り、煩悩を断ち、潜在印象から煩悩が生じない境地を目指す{{sfn|宮本|2005|pp=84-86}}。こうした心の理論には仏教の影響が認められる。修行が進むと様々な[[超能力]]が自然と身につくと考えられたが、後世の[[ハタ・ヨーガ]]とは異なり、超能力の獲得自体は修行の目的ではない{{sfn|宮本|2005|pp=87-88}}。
 
師から直接指導を受けることが必要不可欠とされ、師の存在が非常に重視されるが、適当な師に巡り合えなかった場合、または、師の系譜をたどり無限訴求に陥らないよう、最初の師、師の中の師として自在神が必要とされたと思われる{{sfn|宮本|2005|p=88}}。自在神の表象は[[オーム (聖音)|聖音オーム]]であり、これを復誦しながら自在神を祈念し、三昧の境地に至る{{sfn|宮本|2005|p=88}}。
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