「ジプシー・キングス」の版間の差分

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| 画像補正 = yes
| 背景色 = group_or_band
| 出身地 = {{FRA}} [[プロヴァンス]] [[アルル]]
| ジャンル = [[ルンバ・フラメンカ]]、[[ワールドミュージック]]、[[ポピュラー音楽|ポップス]]、[[ラテン・ロック]]
| 活動期間 = [[1978年]]
| レーベル = [[エレクトラ・レコード|エレクトラ]], [[ノンサッチ・レコード|ノンサッチ]], [[コロムビア・レコード|コロムビア]]
| 公式サイト = {{URL|http://www.gipsykings.com/}}
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[[ファイル:Gipsy Kings (ZMF 2016) jm65959.jpg|サムネイル|テント音楽祭2016[[フライブルク]]、[[ドイツ]]]]
[[ファイル:Gipsy Kings (ZMF 2016) jm65983.jpg|サムネイル]]
'''ジプシー・キングス'''(Gipsy Kings)は、[[フランス]]の[[バンド (音楽)|バンド]]。[[フラメンコ]]に[[南フランス|南仏]][[ラテン民族|ラテン]]の要素が入った、'''ルンバ・フラメンカ'''のスタイルのベースに、ロックや[[ポピュラー音楽|ポップス]]や[[ロック (音楽)|ロック]][[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]も取り入れた演奏を得意とする。[[アフリカ]][[ラテンアメリカ]]勢と並び、1980年代以降の[[ワールドミュージック]]のジャンルを担ったグループのひとつとされる。
 
== メンバー ==
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* パコ・バリアルド (Paco Baliardo)/ギター
 
当初メンバーだったチコ・ブーチキー (Chico Bouchikhi/ギター、ボーカル)は、[[アルバム]]Este Mundo発売を前にした1992年に脱退し、{{仮リンク|チコ&ザ・ジプシーズ|en|Chico & the Gypsies}}を結成した。
 
2015年時点ではニコラとトニーノだけがメンバーに残っており、ツアーなどのプロモーションにおいては "The Gipsy Kings (featuring Nicolas Reyes and Tonino Baliardo)" と表記されている。また、2018年にカヌート、ポール、パチャイがチコを加えて、 "The Original Gypsies" というバンドを再結成している<ref>[http://theoriginalgypsies.com/ The Original Gypsies]</ref>。
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ジプシー・キングスのメンバーは、互いに兄弟・親戚関係にあるスペイン系[[ロマ]]の一家である。レイエス兄弟の父である歌手の[[ホセ・レイエス (歌手)|ホセ・レイエス]](José Reyes)とバリアルド兄弟の父であるギタリストの[[マニタス・デ・プラタ]](Manitas de Plata、本名はリカルド・バリアルド Ricardo Baliardo)は従兄弟同士で、またチコはホセの娘婿であった。
 
ジプシー・キングスの前身は、1975年にホセが息子達と『[[ホセ・レイエス&ロス・レイエス]]』(José Reyes y Los Reyes)というグループを組み、地元フランス南部の[[プロヴァンス]]地方で活動していたことにはじまる。1979年にホセが没した後は『ロス・レイエス』となったが、ニコラなど数名の兄弟がチコとバリアルド兄弟を加えて新たに『ジプシーキングス』(GIPSYKINGS)というグループを立ち上げた(この時のグループ名は1単語)。『ロス・レイエス』を続けた兄弟も後に合流し、改めて『ジプシー・キングス』(Gipsy Kings)となった。このグループ名は、メンバーの名字 Reyes が[[スペイン語]]で「王」を意味する [[wikt:ja:rey|rey]] の複数形 [[wikt:ja:reyes|reyes]] と同じ綴りであることに由来する。
 
各地で巡業しているうち、[[ブリジット・バルドー]]や[[チャールズ・チャップリン]]といった有名人が、まだメジャーデビュー前の無名だった彼らのファンになった。特に、[[スイス]]のレストランで彼らの演奏を聞いた老人が感極まって涙したが、彼らにはその老人が誰かわからず、後になってチャップリンだったことがわかった、という有名なエピソードがある。この時のことをチコは「かつて世界中を泣かせた人物を俺達が泣かせたことが本当に嬉しかった」と語った<ref name="mosaique">アルバムモザイク日本版ブックレットより。</ref>。しかし、GIPSYKINGS時代に発売したアルバムアレグリア(Allegria)、情熱の月(Luna de fuego)はあまり売れなかった<ref name="greatesthits">アルバムグレイテスト・ヒッツ日本版ブックレットより。</ref>。
 
世界的に有名になったのは、クロード・マルチネス(Claude Martinez)を[[音楽プロデューサー|プロデューサー]]に迎えてからである。マルチネスは、ジプシー・キングスの音楽は素晴らしいが何かが足りないと思い、もともとのフラメンコを基調とした音楽に、[[ポピュラー音楽|ポップス]][[ロック (音楽)|ロック]]など現代的な音楽の要素を加えた。その結果、[[1987年]]に発表した「ジョビ・ジョバ」(Djobi Djoba)、「バンボレオ」(Bamboleo)がフランス国内で大ヒットした。[[クリスチャン・ラクロア]]のショーで使われたり、[[フランソワ・ミッテラン]]が大統領選挙で「バンボレオ」を使って若者の支持を得ようとしたことでも知られる<ref name="mosaique" />。
 
1990年、フランスの音楽賞である{{仮リンク|ヴィクトワール・ドゥ・ラ・ミュジーク|fr|Victoires de la musique}}の年間最優秀グループ賞を受賞した。
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* マイ・ウェイ (A Mi Manera)<ref>[[フランク・シナトラ]]「[[マイ・ウェイ]]」のカバー。</ref> - [[日本放送協会|NHK]]ドラマ『[[バブル (テレビドラマ)|バブル]]』主題歌(2001年)、[[UCC上島珈琲]]「COFFEE LOVER's PLANET」CMテーマソング(2016年)
 
また、[[テレビ朝日]]系の[[深夜番組]]『[[タモリ倶楽部]]』で1992年に始まったコーナー「[[空耳アワー]]」では、ベン、ベン、マリア (Bem, Bem, Maria)が第1回の空耳アワード(1993年)に選ばれた。このことはその後発売されたジプシー・キングス・グレイテスト・ヒッツボラーレ! ベリー・ベスト・オブ・ジプシー・キングスの[[ライナーノーツ]]でも言及された。同コーナーでは2015年3月末までに33作品が採用されている。
 
これより前にも、[[坂崎幸之助]]が空耳に注目し、1989年開始の『[[スーパーFMマガジン]]・坂崎幸之助の[[NORU SORU]]』で「元祖ジョビジョバポップス」というコーナーを始めている(Djobi Djobaのサビの部分が「あ〜らニヤけた[[ケロンパ]]」と聞こえる事から)。
 
== ディスコグラフィ ==