「クリスティーナ (スウェーデン女王)」の版間の差分

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イギリスの歴史家{{仮リンク|ヴェロニカ・ウェッジウッド|en|Veronica Wedgwood}}は即位直後のクリスティーナを「名ばかりの人ではないにしろ、媚びへつらいに甘く、騙されやすかったが、強情でかつ知性をもった若人だった。あの高名な父の娘として、彼女は状況に対処する勇気を持ち、(彼女の老臣たちより)もっと大胆に、あっさりと、父の政策のセンチメンタルな墨守を放棄することができた」と評している。
 
クリスティーナが生まれた際、男児誕生の一時誤報が流れたこともあり、両性具有であったとされる説も支持されていたが、1943年に石棺を移動して開き、銀の仮面と王冠は発見され、プロケード地の埋葬服はほとんどなくなっていた。1965年12月の再調査によると遺体は明らかに女性のものであり、この説はクリスティーナが[[ハスキーボイス|深い声]]の持ち主で男性用の靴を愛用していたこと、また結婚にあまり興味がなかったことによる根拠のない噂話に過ぎないと判断された。
 
幼少の頃から美しいドレスやリボン等の装飾品や着飾ることに関心がなく、洋服へのインクの付着やほつれを注意されると「そういうことは他にすることが無い者に言えば良い」と答え、頓着がなかった。