「性霊集」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
11行目:
飯島太千雄は、空海が入唐時から、将来の文集編纂を企図して自らの作品の写しを取っていたほか、個々の作品に表題を付して10巻に編む最終的な編纂作業にも関与していたと推定している。巻五の収録作品と同じものが単体の巻子本として伝存する「越州節度使に請ふて内外の経書を求むる啓」「本国の使に与へて共に帰らんと請ふ啓」は、筆跡などから空海真跡の控文と判定でき、さらに余白に付された表題も空海真跡とみられ、最終的な編纂作業に空海が関与していたことが窺えるという<ref name="iijima">飯島太千雄「空海真跡の控文の出現で判明した『性霊集』の成立事情」(『密教文化』149号、1985年)</ref>。
 
空海は24歳のときに著した処女作『[[聾瞽指帰]]』の序文で、従来の中国と日本の文学を痛烈に批判し、文学における芸術性と真理の両立を理想として掲げている。そして、その文学改革の志は、『性霊集』巻一の冒頭「山に遊んで仙を慕ふ詩」の序でも表明されている。文学の改革者たらんとしていた空海が、自らの作品を後世に残そうとしなかったはずがないし、収録作品の選択や配列といった最終的な編纂作業に、空海が関与していた可能性も十分考えられよう。
能性も十分考えられよう。
 
== 成立 ==